2001年7月24日(火) 「ピクシーよ永遠に・・・」
みなさん、お久しぶりです。2週間ぶりのコラムです。今日のコラムはかなりの長編です。
しかも内容はサッカーなので、興味のない方にはつまらない内容かもしれませんが、
自分にとってはかなり大きなことなので、書かせてもらいます。
2001年7月21日土曜日。この日、一人の英雄がその伝説に幕をおろしました。
Jリーグ前半戦最終節、かつ名古屋グランパスエイトの、そしてJリーグの英雄とも
いうべき、一人の選手の最後の試合が東京スタジアムで行われました。
その選手とはストイコビッチ、愛称はピクシー。
その名の通り、妖精のような華麗な舞を見せてくれた。
ピクシーのプレーを初めて見たのが、90年イタリアW杯の時。そして7年前の1994年
ピクシ−がJリーグに来た。それから自分のサッカーのプレイスタイルも大幅に変わった。
年に1度のオールスターで3回もMVPを獲得し、天皇杯を2度制覇。お荷物といわれた
グランパスを優勝候補の一角に引き上げた。ユーゴスラビアでは「5つ星」と呼ばれる
ユーゴ国民なら誰もが知ってる歴代のサッカー選手5人の最後の1人。そして自分にとっては
永遠の「背番号10」。そんな英雄の最後の試合を見ることができて本当に良かった。
試合当日19時キックオフだったので17時に着くように出掛けた。最寄り駅ではダフ屋が
出没。聞いてみると当日券はないらしい。東京スタジアムの入場者数は4万3千人だった。ア
ウェイであるにもかかわらずスタジアムの7割方が赤色に染まっていた。このうち大半はピク
シーファンだろう。偉大なサッカー選手の最後を一目見ようとこれだけ多くの人が集まった。
そう考えると自分のことじゃないのにすごく嬉しかった。試合中コーナーキックになり、ピク
シーがボールを蹴る瞬間のカメラのフラッシュの数はすごかった。あたり一面が光の海って感
じ。応援もすさまじかった。イングランドでプレミアリーグを見たときにJリーグはまだまだ、
と思ったけど、この日の試合の応援はその時の応援に勝るとも劣らないものだった。ブーイン
グもあり、ゴールが決まった瞬間の大歓声も。
試合は3対0でグランパスが勝ち、普通なら終了直前くらいからぽつぽつと帰る人が見え始め
るのにこの日は誰一人として帰ろうとしなかった。そして試合終了後、片言の日本語を交えて
英語でスピーチをした。その中で日本で過ごした7年間を「7 beautiful yea
rs」と言っていた。何度か街中でも見かけた。その度に緊張して、でも話し掛ければ気軽に
それに応じてくれて、その度にピクシ−を好きになっていった。
スピーチのあと、ピクシーは自分の子供マルコをつれてグランドを1周。この間、「ピクシー、
オレッ!」の大歓声がずっと鳴り止まない。自分も一緒になって叫んでた。周りを見ると泣いて
いる人が結構いて、それを見たらなんか自分も泣けてきて、次の瞬間には頬をぬぐっていた。
何はともあれ、これで10月6日のトヨタスタジアムでの引退記念試合を残すのみとなった。
今年のオールスターには出ないため、昨日日本を離れてしまった。今、心の底からこう言いたい。
「7年間本当にありがとう。」
かなり長くなってしまったけど、自分にとっては本当に大きな出来事だったので、そこらへんは
許してください。
それでは、また。
See Ya!!
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