ビ リ ギ ャ ル |
ラスベガス出張の行きの飛行機の中で見た作品。
名古屋の中高大一貫教育の私立校に通う女子高生のさやか。彼女は小学校時代はいじめられっこで、その鬱憤を晴らすかのように毎日友人たちと遊んで暮らしていて、勉強はまったくしていなかった。ある日、喫煙の疑いをかけられ、大学への内部進学すら怪しくなった状況で、母はさやかに塾に通うように言う。彼女は入塾面接に行き、講師の坪田と出会う。この出会いが彼女の運命を変えることに―――。
想像以上に良かった。
ギャルが猛勉強して有名大学に合格する話―――と言えば、そうなのだが、予想していたのは「ドラゴン桜」のような勉強のノウハウを伝える内容だと思っていたが、家族崩壊の物語あり、友情物語あり、師弟愛あり・・・と盛りだくさんの内容。だからといってシリアスな展開ではなく、ギャルという見た目を活かして、笑いと涙をバランス良くうまく混ぜ込んでいる。
聖徳太子を"せいとくたこ"と呼んだり、東西南北がわからなかったり、あまりの無知ぶりに笑わせてもらったかと思えば、伊藤敦演じる塾講師が「ダメは人間はいない。ダメな指導者がいるだけです」との台詞にウルッと来たり・・・。
笑いの部分がさやかのいかにもギャルっぽい天真爛漫な明るさに依存しているとするなら、家族崩壊とその後の再生を描いた部分が涙を誘う一番大きな要素となっていると言える。自分の叶えられなかった夢を子供に託す親の気持ち、その期待に応えて努力をするが自分の限界を知ってしまい、親の期待がプレッシャーに変わってしまった子供の気持ち。このすれ違いがきっかけとなり、家族が崩壊してしまう過程が観客の涙を誘う。
脚本の妙と言えば良いのだろうか?日本独特の受験戦争をメインテーマに家族愛、師弟愛、友情などが絶妙のバランスで成り立っていて、最初から最後まで飽きることがない。
キャスティングも非常に良い。
まずは主役の有村架純。映画前半の金髪ギャルで天真爛漫な姿と後半のスッピンっぽい顔で受検に真剣に打ち込む姿のギャップは非常に大きく、物語り全体にも良い意味でのギャップを与えている。
もう1人の主役とも言える講師・坪田役の伊藤敦。生徒1人1人のポテンシャルに合わせて、アメとムチを使い分けることでどんな生徒であっても心を通わせあい、荒れた家庭環境に育っていて何かしらの寂しさを感じている生徒たちの居場所を作ってあげている。
そんな坪田が"善"だとするなら、対峙する"悪"が学校の先生。生徒に対して「お前らは最低のクズだ!」なんて台詞を見事なまでに吐き、見事な悪役を演じている。特に喫茶店で坪田と担任が話す場面は悪役として最高の見せ場で、このシーンがキッカケとなり、さやかのやる気を引き出した=物語の核であり、脚本の秀逸さが垣間見える瞬間でもある。そしてもう1人の"悪"が父親だろう。息子だけを可愛がり、娘には冷たく当たる、こちらも見事な悪役っぷりだった。
自分の理論で、"良い映画には良い悪役が必要"という理論がある。この作品においてはその"悪役"が2人もいる。しかも1人は家庭内、もう1人は学校という、高校生にとっては2大拠点とも言える場所。そんな2大拠点に"悪"がいる環境で健気に頑張る主人公という設定がストーリーに良いスパイスを効かせている。
ロケーションも名古屋育ちの自分にとっては印象的な場所が多かった。
名古屋の二大繁華街である名駅と栄地区で、高校生は名駅ではなく栄で遊ぶという設定がリアルだったり、TV塔やセントラル・パークといった自分が高校時代に遊んでいた懐かしい場所や渡米中にできたサンシャイン栄やオアシス21といった新しい場所も何度もスクリーンに映し出され、非常に親近感が沸いた。
名古屋弁も豊富で「たわけ!」と怒鳴る父親が印象的だが、全国的に意味が通じるのだろうか?ただし女子高生の「デラ」がないのは残念。
また母校である名大もストーリーに絡んでいるだけでなく、実際に合格発表のシーンがスクリーンに映り、自分の受検時代を強烈に思い出し、主人公の気持ちに感情移入する度合いもより高まった。
とまぁ、良いとこだらけなのだが、一箇所だけどうしても納得できないシーンがある。
さやかのことを常に大切に思い続け、彼女のためにパートを始めさえした母親"あーちゃん"。どんな状況でも子供の味方になる親としての姿勢は見方によっては素晴らしいし、その姿勢があったからこそ、さやかも受検に真剣に取り組むことができたのは間違いない。それでも学校を訪れ、担任に向かって、「さやかは受験勉強を徹夜でしているのだから授業中は寝させてあげてください」というシーンがある。このシーンも制作陣の狙いは、娘をかばう母親を描くという目的なのかもしれないが、どう見てもモンスター・ペアレントにしか見えない。
このシーンが原作にあるのだとしても、映画化するにあたってはこのシーンは削除しても良いのでは?と感じた。実際、このシーンがなくなったとしても、特に他に影響が及ぶようなシーンでもない・・・。このシーンがあることによって、逆に"努力して受験戦争に勝った"という話が"母親のわがままを通して、無理やり娘を合格させた"という印象を与えかねない。このシーンだけは蛇足だったと言わざるを得ない。
さやか自身は名門私立中学に合格しているので、もともと勉強の才能がない人間が頑張って名門大学に合格したわけではないとか、慶應といっても学部がね・・・とかって粗探しをする人もいるようだが、映画のポイントはそこじゃない。
高2の時点で全国偏差値30というのは事実だったわけで、そこからの1年ちょっとの期間で偏差値を大幅に上げたという事実が重要。この作品のキャッチ・コピーでもある"When there is a will, there is a way."こそが、すべてと言っても良いのではないだろうか?