名探偵コナン 14番目の標的 |
劇場版「名探偵コナン」第2弾。
目暮警部が公園でジョギング中にボウガンで撃たれるという事件が発生。翌朝には蘭の母親・妃が毒入りチョコレートを食べてしまう。さらに、コナンの目の前で阿笠博士が襲われる。
三つの事件の現場には、それぞれトランプに関連のあるものが残されており、狙われたのがいずれも毛利小五郎に関係のある人物ばかりであるということから、目暮警部は小五郎が10年前に逮捕し、今は仮出所中の村上丈の恨みによる犯行だと推測した。
実際、小五郎の周囲で、名前に数字が入っている人間が、その順番通りに殺されそうになっていく。そして近々オープンする娯楽海洋施設に殺される可能性のある人間が一斉に集合することになる。そこで次々に起こる殺人、さらに施設自体も大爆発を起こす―――。
トランプの数字の順番通りに殺人が起こるという設定は新鮮ではあるものの、強引さはぬぐえない。目暮警部の"十三=13"はまだしも、妃⇒Queen⇒12"とか、阿笠博士の"士⇒十一⇒11"って、強引を通りこして、こじつけだろう・・・ってレベル。しかもいくら冗談っぽくとはいえ、主人公が自分の名前には数字が入ってないから、殺されない・・・って発言しちゃうのはどうなんでしょう?
カード・ディーラーの村上の犯行とカムフラージュさせるためのきっかけとしては、もちろん素晴らしいアイデアではあるし、順番に殺されるという設定による、次は誰が殺されるんだ?という緊迫感の漂わせ方は上手い。が、最終的には1人1人殺すのは面倒だから、一気に爆破で全員殺しましょう!っていう発想はどうなんでしょう?どうせやるなら、最後まで1人ずつ殺してもらわないと・・・。
伏線がいろいろと散りばめられていて、それを順に回収するわけではなく、単純に殺人事件が起こり、それを後から解決していくだけのため、最後の施設に来るまで、観客としての謎解き要素はゼロ。
他の劇場版では、娯楽色ではなく、ミステリー色の強い作品の場合、いろいろなところに伏線が散りばめられていて、観客としても最初から謎解きを楽しめる作品が多いのだが、この作品に関してはその部分が非常に弱い。
しかも犯人らしき人物が怪しい行動をするシーンがいくつかあるのだが、その人物以外に怪しい行動をとる人物がいないため、必然的に犯人がわかってしまう。こういう場合、その他の人物にも怪しい行動を取らせて、怪しい人物を複数描写することで、誰もが怪しい・・・という状況に持っていくべきなのに、なぜこの作品はそれをしなかったのか?
この作品で上手いと思ったのは、小五郎の昔話。小五郎が射撃の名手だったこと。そしてある事件がきっかけで別居状態となってしまったこと。その別居の理由が実は○○だったこと。いろいろなことが判明するのだが、それをコナンと蘭が追体験することで、なぜ小五郎が人質となった妻を撃ったのかがわかるくだりはさすがである。
そして冒頭のおみくじで出てきた"Aの予感"。歩美がA=キスのことじゃないのか?とさらっと言ってのけ、驚く少年探偵団の男子達だけで終わるだけでなく、それをクライマックスにきちんと用意している点もうまかった。
映画版ならではのアクションは皆無で、推理も設定(こじつけ)もいまいちで、作品全体を通して見た場合、第1弾とは異なり、盛り上がりに欠ける作品だということになるだろうか?