ドラゴン・ヘッド |
日本初のウズベキスタンロケ、壮大なスケール感を誇る漫画が原作ということで見た作品。
新幹線に乗っていた修学旅行中の高校生テルはトンネルの中で閉じ込められる。気が付いた時にはクラスメイトや教師も死んでおり、生きていたのはノブオとアコとテルの3人だけだった。闇の恐怖に飲み込まれていくノブオを残し、トンネルから脱出したテルとアコの2人が見たのは廃墟と化した世界だった。何が起きたのかわからないまま、2人は東京を目指す。途中暴徒と化した群集に襲われるが、自衛官の2人組に助けられ、何とか生き延びる。ある建物の地下で恐怖を取り除くために脳を手術した少年たちに出会う。目の前で母親が死んでも淡々と遊び続ける少年たちを見て、泣き叫ぶアコ。都市の景観だけでなく、人間さえも変わってしまったのか?そして目指す東京はどうなっているのか?
結論から言えば、スケール感には圧倒されるがストーリ的にはあまり引き込まれず、映像的な矛盾点ばかりが気になってしまった。例えば、荒廃した街を何日も歩き続け、髪は降りしきる灰で白く、顔も服も汚れで所々黒くなっていたテルがUPで映った後に、服は汚れているが髪は風呂上りのようにツヤがあり、顔も洗顔直後のように綺麗なアコがUPで映り、2人が抱き合うシーン。何でそんなに綺麗なんだ?2人とも綺麗ならまだしも、1人だけが汚くて、1人だけ(しかも服は汚れているのに)綺麗というのが見ていて、とても不自然な映像だった。
荒廃した街のセットは非常にリアルに感じられたのに、肝心の人間にリアルさが感じられない。しかも演技の上手い下手ではなく、映像的な要素が原因であり、非常にがっかりした。
映画である以上映像というのは最低限守らなきゃいけないルール的な存在なのに、それが守られていないのだから、かなりひいてしまった。
また舞台設定が非現実的な世界であり、人間ドラマ的要素も薄く、感情移入することもできずに、途中からはどういう終わり方なんだろう?とそのことばかり考えながら見ていた。そしてその最後が非常に中途半端な終わり方で拍子抜けしてしまった。(途中でエンディングのことを考えている時点で既に魅力的ではないのだが・・・)
批判ばかりしてしまったが、良いところもあった。「スパイダーマン」、「MIB」などハリウッドでは"アメコミ"と言われる、漫画を原作とした映画が一つのジャンルを築き上げており、近年日本においても漫画を原作とするTVドラマが増加してきた。そしてその流れは映画界にも押し寄せ、人間ドラマを軸とした"ジャパコミ"とでも言うべきジャンルが確立されつつある。しかし圧倒的なスケール感を軸とした"大作"と呼べるような作品は今までになかった。
そこにスケール感を軸とした"新ジャパコミ"映画の息吹を感じさせてくれたのがこの作品で、予算の少ない日本映画でも、ここまでできるんだぞ!という息遣いは感じさせてくれた。
映画として、大衆受けするかどうか微妙なライン。マニア向けと大衆向けの境界線があるとすれば、境界線が見えるマニア向けの領域に位置する作品といったところだろう。