ハウルの動く城
採点:★★★★★☆☆☆☆☆
2006年2月14日(DVD)
主演:倍賞 千恵子、木村 拓哉
監督:宮崎 駿

とりあえず、見てみました。

帽子屋で働くソフィーはある日、街でハウルと出会う。何者かに追われているハウルは、ソフィーと共に天へ舞い上がり、ソフィーと共に空中を散歩する。その夜、ソフィーは荒地の魔女に呪いをかけられ、90歳の老婆に姿を変えられてしまう。
ソフィーは荷物をまとめ、人里離れた荒地でハウルの動く城に潜り込む。動く城にはハウルの他に、ハウルと契約を結び、暖炉に縛りつけられている火の悪魔カルシファーとハウルの弟子マルクルが住んでいた。
ハウルは王国からの再三の戦争への参加要請に応じず、王宮へ行かずにいたが、ソフィーを自分の母親として、断ってくるように依頼する。そして訪れた王宮で、ソフィーはハウルの師匠であるサリマンに出会う―――。

まずはオープニング。霧の中に見え隠れする動く城。アニメなのか、実写なのか区別がつかないほどによくできている。その後も、城から見える景色などの遠景の風景については、素晴らしいの一言に尽きる。日本のアニメのレベルの高さを垣間見るシーンだ。
そしてその直後、ソフィーとハウルが空中浮遊するシーン。このシーンも素晴らしいが、その後は特にこれといった映像的な見せ場はなかった。

そして、肝心のストーリーもいまいちです。ジブリ作品の中でも「天空の城ラピュタ」や「風の谷のナウシカ」的なものを期待していたこともあり、なんか中途半端なんですね。
内容がわかりにくいわけでもなければ、つまらないわけでもない。中途半端なんです。ソフィーも実は魔力を持っていた(あるいは、それに通じるものを予感させたいという演出)というのはわかるのだが、見せ方がいまいちなんです。それはおそらく時間が短かったせいだと思います。最後の方はせわしなく物語りが進んでいき、その中でソフィーが徐々に力を発揮していくわけですが、そこはもっと丁寧に時間をかけて描くべきだったのでは?全部で2時間ちょいの長さなのだけど、2時間半にしてでも、その部分は丁寧に描くべきだ。はっきりいって、そこがこの映画の中の一番の見せ場だと思うし、そこを時間をかけてないせいか、最後の落ちが弱い。

そして場面、場面によって、変わるソフィーの顔。寝ている時は若いソフィー。起きている時でも、場面によっては90代の老婆だし、場面によっては、50代くらいのおばさんになる。おそらく、寝ている時は、魔法が影響しない、そして起きている時は、ソフィーの気持ちしだいで、多少若返る(前向きの時は50代、後ろ向きの時は90代って感じだろうか?)、というような意味合いを持たせて、観客の想像力に訴えかけたのだろうが、おそらく多くの観客はそこを理解できてないのではないだろうか?
日本における宮崎アニメといえば、ハリウッド大作と同等、いやそれ以上のブランドになっている大衆映画の代表的存在である。そういった大衆映画は、まずはわかりやすさが大事なはず。これがインディペンデント系のマニア向けの映画なら、わかりやすさ(=時には安っぽさになる)は逆に嫌われる傾向にあるが、大衆映画はわかりやすくなければいけないはずだ。
そういった意味で、この作品は今までのジブリ作品とは違う。日本人の傾向として、"波には乗っておけ"、"流行には乗り遅れるな"、あるいは"人と同じ話題を持ちたい"というのがあって、宮崎アニメもいまやそういう存在になっていて、興行的には成功したが、もしこの作品が"宮崎アニメ"というブランドネームがなかったら、果たしてどこまでの興行成績を残したのだろうか?

だからといって、この作品をつまらないというつもりはない。何度も書いてきたが、内容がわからないわけでもなければ、つまらないわけでもないです、ただ中途半端なだけなんです。だからもっと時間をかけて、場面場面を丁寧に描いてもらえれば、もっと質の高い作品になっていたと思うと残念です。
それでもサリマンに言った、ハウルの言葉、「この城には魔法で爆弾が落ちないようにしてあるが、その代わり、周りの民家に落ちるんだ。魔法とはそういうものだよ」という言葉の中に、魔法の光と影を教えられた気がして、この言葉はすごく心に残りました。

一口コメント:
つまらないわけではないけど、なんか中途半端な作品です。もう少し時間が長ければ、もっと面白かっただろうに・・・。

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