風立ちぬ |
日本の夏、ジブリの夏、その中でも最高位に君臨する宮崎監督5年ぶりの新作・・・というわけで見てきました。
大正から昭和にかけての日本。関東大震災、そして第二次世界大戦という激動の時代。後に世界に名を馳せるゼロ戦を生み出した堀越二郎はイタリア人飛行機製作者カプローニを尊敬し、いつか美しい飛行機を作り上げたいという野心を抱いていた。たまたま乗っていた汽車が関東大震災に遭遇し、そこで出会った菜穂子と数年の時を経て再会。彼女は結核にかかっていたが、二人は恋に落ち、結婚を約束する・・・。
何だ、これ、薄っ!?
観終わった直後の率直な感想がこれ。"生きねば。"なんてたいそうな宣伝文句がついているものの、全然そんな"生きねば"感はない。「もののけ姫」の宣伝文句は"生きろ"で、それに見合う内容があったが、この作品は関東大震災、第二次世界大戦といった激動の時代の日本を描いているにもかかわらず、物語は起伏のない、淡々とした展開が続く。
この作品の主題が主人公の純粋な夢にフォーカスを当てていて、時代的な背景には重きを置いていないというのは流れからわかる。それならそれで主人公の夢の前に立ちはだかるべき障害などがあってしかるべきだが、そういったものはいっさい描かれていない。描かれているのかもしれないが、中身が薄い。主人公が苦労して飛行機を完成させたという技術革新的な描写もなければ、大震災や戦争といった時代背景に苦悩する描写もない。せっかく登場する病を抱えたヒロイン(苦悩するには最高の設定だが・・・)との恋愛に涙する描写もほぼない。
大震災のシーンは地震が起きました!以外に特にこれといった要素もないまま終わってしまい、震災に苦しむ庶民がまったく描かれていない。長い年月を経て再会した主人公とヒロインは二人がどういう感情を積み重ねていったか?の描写がないまま、直ぐに婚約。世間一般が戦争であたふたしている時代(のはず・・・)なのにも関わらず、主人公とヒロインは避暑地の別荘で優雅な日々を過ごしている。そしてこの作品のテーマから考えるに最も大事な飛行機開発に関しても、ドイツに視察に行ったり、その後世界を回ってきたりしているだけで、技術開発に苦悩するシーンはなく、何度か実験飛行に失敗する描写があるだけ。そしてこれらすべてが淡々と描かれている。もっと平たく言えば失敗をしない次郎の人生を見せられる。こんな描写のどこに"生きねば。"を感じれば良いのだろうか?
結果として映画鑑賞する上で最も重要な要素だと個人的に思っている"感情移入"がまったくできない。感情移入するためには、登場人物の挫折や苦悩に共感したり、憎むべき敵の悪態に反感を覚えたり、そういった人間の内面を描かなければならないのだが、この作品にはそれがない。
挫折や苦悩に関しては震災や戦争、技術開発など上述している要素があるが描き方が薄い。また憎むべき敵としてもせっかく軍隊や公安が登場しているのに、それを生かしてきれていない。以前に他の作品を劇場で見た際に流れていた4分の予告編が、それだけでも泣けそうな感じだったこともあり、この落差にはショックを受けた。
人物描写という意味では、上述したように主人公の成功物語ばかりで、失敗談がないこともあり、登場人物の内面を深く掘り出していない。これがラピュタやナウシカのようなファンタジー冒険活劇であれば違和感ないのだが、戦時中に戦闘機(ましてや世界的に歴史に名を残すゼロ戦を後に生み出す・・・)を開発する人物としてはあまりにも非現実的だ。飛行機作りに関して、今までなかった斬新な方法で軽量化を果たしたとか、そういった飛行機作りに夢をかけた人物ならではの苦労話をもう少し深く描いてくれていれば良かったのかもしれない・・・。
そしてキャラ設定なのか、キャラ描写が下手なのか・・・、いずれにせよ、主人公の感情の起伏がないので、宮崎監督作品としては珍しい恋愛描写もまったく生きない。また震災や戦争に対しても、恐怖や動揺といった感情が見えないし、飛行機開発にいたっても熱意を感じられない。ここまで魅力のない人物が主人公という作品も珍しいのではないだろうか?
それに輪をかけて声優がよろしくない。「エヴァンゲリヲン」の監督・庵野さんが声を吹き込んでいるのだが、かなり残念。この人をキャスティングした判断も間違っていたが、それを受けた庵野さんの判断も間違いではないだろうか?「エヴァンゲリヲン」という大作アニメの監督である彼が声優の重要性を認識していないわけがないのだから、どういう判断で引き受けたのか、ぜひ聞いてみたい。キャラ描写が淡々としているから、吹替えも淡々としたのかもしれないが、一箇所くらい感情を込めて泣くなどの演技があれば、このキャラクターも、そしてこの作品の評価も大きく変わっていたかもしれない。
そしてこの作品はゼロ戦の開発担当者の話だというのに、ゼロ戦の戦闘シーンが描かれていない。子供も楽しめるようにという配慮なのかもしれないが、大震災も史実として描いているのだから、戦争の描写というのも史実として描いても良かったのではないか?
その代わりに夢の中で憧れの人物と飛行機開発について語り合うという手法をとっているのだが、その中にもゼロ戦は最後の最後に少し登場するだけ。どうせ夢の中なのだから、戦争兵器としてのゼロ戦ではなく、主人公の追い求めた夢の結晶としての飛行機・ゼロ戦としてもう少し時間をかけて描くなどしてもらえれば、主人公の夢がいかに尊いものであったのか?が観客にもより深く伝わったのではないだろうか?あるいは、自分の夢であった飛行機が人を殺す道具となってしまったことに対しての二郎の思いを描くという手法でも人間ドラマは盛り上がったかもしれない。
憧れの人物がせっかく「君よ、この十年を精一杯生きなさい」という名言を残しているにも関わらず、苦悩が一切ない成功談のみで十年が描写された挙句に最後の台詞、「でも一機も戻って来ませんでした」の一言で終わらせてしまうとは・・・。
結論としては、震災も、戦争も、恋愛も、飛行機開発もすべて中途半端。中途半端というか、薄っぺらい。美しい飛行機を作りたいという夢を追い続けた主人公の物語であって、時代背景は一切関係ない。そして主人公の感情も一切関係ない。何とも残念な結果となりました。