パ ッ チ ギ !
採点:★★★★★★★☆☆☆
2006年7月24日(DVD)
主演:塩谷 瞬、高岡 蒼佑、沢尻 エリカ
監督:井筒 和幸

仕事の関係で見ることになった作品。以前から友人が面白いと言っていたこともあり、前々から気になっていた作品でもある。監督は毒舌で知られる井筒監督。

1968年の京都、東高校2年の松山康介はある日、担任から指示を受け、常日頃争いの絶えない朝鮮高校へサッカーの親善試合を申し込みに行くことになった。親友の紀男と共に恐る恐る朝鮮高校を訪れた康介は、音楽室でフルートを吹くキョンジャという女生徒に一目惚れする。そして彼女の兄が朝鮮高の番長アンソンであることも知る。
康介は坂崎という人物と知り合い、キョンジャが吹いていた曲が「イムジン河」だということを教えてもらう。さらに朝鮮語を覚えるために朝鮮語の辞書を買い、坂崎からギターと歌を習い、帰国を決意したアンソンを祝う宴会に招待された康介は、キョンジャと『イムジン河』を合奏し、アンソンたちと仲良くなる事ができた。
しかし、アンソン一派と東高校の争いの中でアンソンの弟分が死に、その葬式の席で日本人と朝鮮人の間にある大きな壁の存在を思い知らされる。

ハングルの「パッチギ」には「頭突き」の意味が含まれていて、そのタイトルが示す通りに、喧嘩のシーンが多数含まれていて、どのシーンもなかなか迫力があり、見ごたえがある。
さらに時代背景に関しての描写も良くできている。高校生のスカートはロングだし(1980年代を描いた某TVドラマでは既にミニスカートになっていた・・・)、ところどころで画面の隅っこに写る小道具も良くできている(ファンタの看板とか・・・)。

そしてメインの2人の役者。素晴らしい。2人とも日本人であるにも関わらず朝鮮語を要所要所で話しているし(発音もそれっぽい)、何より、キャラクター設定にマッチした演技が素晴らしい。
康介役の塩谷は、ケンカは嫌いだが、相手がどこの誰であろうと好きになった相手に対しては、何でもできてしまうという設定を見事に演じていた。
そしてキョンジャ役の沢尻。見た目、朝鮮人っぽくも見えるという点でキャスティングの段階から素晴らしいのだが、最初は変質者を見るような目で見ていた康介のことを、いきなりの電話での誘いに戸惑いながらも嬉しそうな表情を見せ、さらには川を渡りきっての告白のシーンでの表情といい、当時の女性の恋愛感とはこういうものだったのだろう、というのを感じさせてくれる演技だった。個人的には現代的な女性を演じた沢尻も見てみたいと思った。

そしてこの作品の一番の見せ場ともいえる日本と朝鮮。過去の歴史上、切っても切れない民族問題。それを超えた恋愛が2つ展開される。
まずは康介とキョンジャ。そしてアンソンと桃子。康介とキョンジャの恋は康介の母親からは煙たがられ、さらに最初は好意的に接していたキョンジャの親族も葬式の場で、その秘めた思いを吐き出し、康介は大切なギターを自ら壊してしまうことになる。
日本にいたとき、自分の住んでいた愛知県にも朝鮮学校があり、高校・大学の登下校の途中で、一目でそれとわかる制服を見つけても、特に何の思いを抱くこともなかったが、アメリカに住むようになって、少しそういった感情を理解できる自分がいることに気づいた。
そういう感情とは無論、非国民であり、少数民族であることに対する不安。アメリカは多国籍の国であり、実際本当に多数の移民がいる。とはいえ、生活の端々で不便さや差別感を感じることがある(例えば銀行の口座開設だったり、学校の授業の中でも・・・)。

だからこそ思うのだが、この映画はそういう感情というのをうまく表現できているのではないだろうか?朝鮮人を日本人が演じていることに疑問を覚えないでもないが(ハリウッド映画で中国人が日本人を演じているのもそうだが・・・)、日本語だけでなく、きちんと朝鮮語も話している辺りは、まだ好意を持てる(ハリウッド映画はおかしな日本語だったり、ひどい時は日本語ではなく全編英語でしゃべったりしてるしね・・・)。
自分としては、日本在住の朝鮮人の人に見てもらって、その感想を聞いてみたい。あくまでも、朝鮮に住む朝鮮人ではなく、日本に住む朝鮮人のだ。作品の舞台である1968年から40年近く経った今、現代の在日朝鮮人の人の感想を聞いてみたいのだ。
その答えが、「感動した」なのか?それとも「奇麗事じゃないんだ、馬鹿にするな!」なのか?とても興味があります。

自分の答えは「感動した」ですが・・・。

一口コメント:
現代の在日朝鮮人の人に見てもらって、感想を聞いてみたい作品です。

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