少 林 少 女 |
「少林サッカー」の番外編的位置づけで宣伝していた+フジテレビ製作ということで、前評判がかなり高かったが、世間一般では酷評の嵐だったため、違う意味で期待値の高かった作品。
本場、中国の少林寺での厳しい修行を終え、日本に戻った凛。しかし祖父の道場は潰れ、かつての師も中華料理屋の店長となってしまい、日本で少林拳を広めるつもりだった彼女は落胆してしまう。
ひょんなことから大学のラクロス部に入部することになった凛。あまりのパワーにボールをコントロールできず、しかも仲間を頼らない彼女はいつしか、仲間から見捨てられてしまう。そんな彼女の前に謎の集団が現れる―――。
いや~、噂に違わず、違う意味で素晴らしい映画でした。結論から言うと、何もかもが中途半端になってしまい、破綻してしまった作品。
例えば、物語前半は少林拳を学んだ主人公という設定がほとんど活かされないまま、大学でラクロスを始める。逆に後半は前半あれだけ引っ張っていたラクロスは雲の彼方へと消え去り、"天下一武道会"さながらに少林拳の格闘シーンのオンパレード。しかもそれを日本の大学の建物で行うという無茶苦茶な設定。
スポーツ映画がやりたかったのか?コメディーがやりたかったのか?カンフー映画がやりたかったのか?いずれにせよ、どれも中途半端なのだ。
「少林ラクロス」なり、「少林カンフー」なり、ちゃんと一本、芯が通っていればそれなりに面白くなり得た作品でもあるだけに残念ではある。
そもそもなぜラクロスをテーマにしたのか?はっきり言って意味不明である。
少林サッカーから無理やり何かスポーツを!ってことでラクロスを持ってきたのだろうが、ラクロスである意味がない。どうせなら、ラクロス以外のもっとメジャーなスポーツ、たとえばバレーボールとかでは駄目だったのだろうか?
しかも前半の終わりにかけて、ようやくラクロス中心の物語へ展開されていくのかと思いきや、意味不明なカンフー映画になってしまう。ジャッキー・チェンのカンフー映画の場合、前半にカンフー映画としての前振りがあって、後半のカンフーが活きてくるのだが、この作品に関してはその前振りがないまま、いきなり後半カンフー映画が始まってしまうのだから、観客としては2本別々の映画を、1本目は中途半端なところで上映中止になり、2本目は中途半端なところから上映が始められたような感覚だ。
というか、ラクロスをなくして、最初からカンフーのみでやってもまったく問題ないどころか、そっちの方が面白くなったのではないか?というのが個人的感想というか、願望。
また「少林サッカー」の名前を使っているのに、あそこまで極端なおバカ映画になっているわけでもなく、かといってジャッキーのようなカンフー映画に徹しているわけでもなく、やはり中途半端。
カンフーに焦点を当てた後半だけを見れば、カンフー映画としてはそこそこ面白いが、中途半端にVFXを使っているのが、ちょっと気になる。(水の中に入ったは良いが、髪が水の中とは思えない動きをしたり、濡れてなかったり、頭から落下してるのに、髪の毛は上になびくでもなく、普通。)
しかも"少林拳は闘いの道具ではない"と言い放った、その後のシーンはすべて格闘シーンという、考えようによっては非常に面白い展開。が、これはTVのバラエティー番組なのか?と考えると、やっぱり腑に落ちない。
とにかく何もかもが中途半端なまま破綻してしまった珍しいケースの大作です。