真夏の方程式 |
前作「容疑者Xの献身」から5年、変人がスクリーンに戻ってきた。というわけで、観てきたガリレオ劇場版第2弾。
綺麗な海が残る玻璃ヶ浦で進められている海底資源開発計画の説明会に招かれた物理学者・湯川。説明会に参加した彼は計画反対派の女性が、自分が宿泊する緑岩荘の娘であることを知る。その旅館で、電車の中で出会った少年・恭平と再会する。非論理的な子供が嫌いな湯川だったが、恭平はなぜか大丈夫で、他の子供なら出るはずの蕁麻疹も出なかった。恭平は親の仕事の都合で、夏休みの間、親戚である川畑家の旅館で過ごすことになったという。
翌朝、堤防の下の岩場で男性の変死体が発見される。男は湯川と同じ旅館の宿泊客で塚原という名前だった。彼は元刑事で、彼が退官前に関わっていた殺人事件の犯人を捜していたらしい。
旅館を経営する川畑夫妻とその娘・成実、そして甥っ子の恭平を巻き込み、家族それぞれが抱える悲しい嘘が明らかになっていく・・・。
"実に面白い!"、前作の感想は湯川の台詞をそのまま使えたのだが、今作は残念ながらこの台詞は使えない・・・。
"面白い!"であれば当てはまるが、前作のレベルが高すぎて、今作においては"実に"の部分が当てはまらない。その第一の要因がトリック。前作のトリックはアメリカの小説界のアカデミー賞とも呼ばれるエドガー賞にノミネートされるほど、歴史的にみても傑作だったのだが、今作ではこのトリックの部分があまりにも薄い。前作が天才数学者の出した問題を天才物理学者が解くという必然性(警察では解けない)があったのだが、今作はこの部分があまりにも弱い。天才でなくても、優秀な警察であれば解けるレベルだ。
2番目の要因は10年以上前に起きた第1の殺人事件の真犯人の動機が弱いこと。ある日突然訪れた被害者・三宅伸子に対して、真犯人が三宅を殺害しようと決断するにいたった心理的描写があまりにも薄い。三宅は嫌な奴ではあるが、初対面の女性であり、殺してしまいたいと思えるほど憎い女性という描写はない。
いったん三宅と別れた後に、明確な動機を持って殺害に及んでいるのだが、別れてから殺害に至るまでになぜ殺害しようと思ったのか?に関する心理描写がなく、この作品の一番の核とも言える殺人事件があまりにも薄い。小説はそのあたりが上手く描かれているのかもしれないが、映画ではまったく伝わらない。どうせなら、別れる前に言い争っているうちに偶然の事故で、誤って死んでしまったという描写にでもなっていれば、よりこの作品に感情移入できていたかも・・・と考えると実に残念。
3番目の要因は現代で起きる第2の殺人事件。元刑事の塚原が殺害されるのだが、この事件に関しては新犯人の動機は一応納得できるレベルにはなっているが、塚原が殺される前に彼の思い(なぜ退官した後で、わざわざここまで来ているのか?)をもう少し掘り下げて欲しかった。そうすることで、塚原の思いが邪魔になった人間が犯人かも?というミステリーに必要な犯行に及んだ動機を観客に推理させる前段となりえるし、その推理が良い意味で裏切られることで、ミステリーとしての醍醐味を味わうこともできるから(といってもこの作品はミステリー部分はそこまで重要ではないのだが・・・)。
そしてこの第2の殺人事件の真犯人がとった殺人手段はあまりにもむごい。自分の娘が長年苦しんできた悩みの種を親戚の子供に追わせているわけだが、この真犯人は絶対にそんなことをするキャラクター設定ではないだけに、残念。
というわけで、ミステリー以外の部分について書いていこう。
前作同様、TVドラマでは定番となっている場所を問わず、計算し出す湯川は登場しないし、決め台詞も決めポーズもない。しいて言えば「さっぱりわからない」の台詞のみ登場するが、これを言うのは湯川ではない・・・。このあたりは前作同様TVドラマの映画化ではなく、あくまでも原作の映画化であり、タイトルもガリレオ劇場版ではない。
キャスティングについては、素晴らしい。白竜、前田吟、風吹ジュン、杏。この4人は、TVドラマのレギュラーだった吉高由里子や北村一輝よりも存在感を放っている。もっと言えば吉高と北村の2人については、TVドラマとの関連性を持たせるという意味での登場くらい、それと吉高のメイクが濃いという印象を残しただけで、登場する必要性はまったくなかった。
さて、その4人の中でも前田吟の独白シーンはこの作品の白眉とも言うべきシーンだ。自分の子供ではないことを知っていながら、自分の子供として育てていく。その話を聞いた湯川が「想像を絶するが、とても辛いことでしょう」と返した言葉に「私は、辛いとか、苦しいとか思ったことは、一度もありませんよ」と返答する父親。しかし実際には「お前に全然似てないなって言われたよ」と酒に溺れて帰宅したシーンが繰り返し挿入されていることで、父親が辛かった、苦しかったことを物語っている。そしてそれを聞いた母親も父親に隠してきた秘密がもう秘密ではないことに気づく。さらにそれを寝た振りをしながら聞いている娘。負の連鎖が一気に転がり始める。これほど切ないシーンは久々だ。
とはいえ、前作のラスト、犯人の号泣に対して涙する湯川の切なさには及ばない。
そして杏。湯川と並ぶこの作品の主役と言える。前作は湯川以上に堤真一演じる天才数学者が物語の中心となっていたが、この作品におけるその役割がこの杏演じる成実。最初は海底資源開発計画の説明会で一方的に反対意見を述べるだけだったが、湯川が述べた「全てを知った上で選択するべきだ」の言葉を何度も聞くうちに少しずつ変化していく。
その極めつけがラスト・シーンに集約されている。成実と同じ境遇に落ちるかもしれない恭平を守るという生きる目標を湯川から与えられたことで、この作品に希望を与えてくれる。ここが前作とは大きく異なる点でもある。
また成実の子供時代を演じた子役も素晴らしいキャスティングだった。
そしてTVドラマ版では湯川は子供が嫌いという設定だったが、この作品ではどの湯川が子供と一緒にひと夏の思い出を作るという演出も施されている。この子供がこの作品における一番の被害者となっている点が、この作品の核と言えるかもしれない。一見、杏演じる成実がこの作品の真の主役(前作における堤真一)の役割を担っているが、この少年抜きにはこの作品は成り立たない。
子供が嫌いな湯川の心に入り込み、一緒に食事をしたり、ペット・ボトル・ロケットを飛ばしたり、今までに見れなかった湯川の一面をこの少年が引き出してくれる(今までにない湯川という意味では買出しから戻った湯川が扇風機を求める描写も面白い)。
その中でも食事の最中になぜ紙鍋が燃えないのか?を説明するくだりで、恭平が水滴のしみこんだコースターを炎にかざそうとした瞬間にそれをはじき出すシーンがあるのだが、この時点で湯川が謎を解いていたことを示しただけでなく、恭平が背負うことになる十字架を少しでも和らげようとしている優しさを示していることに後から気づかされる、名シーンだった。
そしてその伏線を回収するラスト、自分のせいで人が死んでしまったんじゃないのか?と感づいた恭平が、泣きながら湯川を探すシーンも秀逸。「花火…やっちゃいけなかったのかな?」と尋ねる強兵に対して湯川は答える・・・「君は一人じゃない。僕も一緒に答えを考えよう」。
同じ境遇を生きてきた成実と恭平の心境が被ることで、成実と恭平が抱える2つの方程式に回答が提示され、物語は綺麗なエンディングを迎える。
とはいえ、冒頭で述べた3つの要因が解かれない限り、この作品が前作を超えることはない・・・。