イノセント・ボーイズ |
"21世紀の「スタンド・バイミー」"という宣伝文句にひかれて見に行った作品。
カトリック系の中学に通うフランシスとティムはいたずら好きで気の合う親友だった。フランシスはマージーというクラスメイトに憧れていて、それに気づいたティムはフランシスの名前でラブ・レターを出し、それがきっかけで二人は親密になっていく。
1年留年しているティムは、両親の不仲という家庭の問題を抱えていたが、その憂さ晴らしをするかのようにフランシス、ウェイド、ジョーイの4人でいたずらをすることに楽しみを覚えていた。その4人の中で最も旬な遊びが学校のシスターや神父を敵キャラとして描いた自作の漫画だった。
ある日、授業で動物園を見学した際にクーガー(肉食動物)を見たティムは、日頃の恨みを晴らすためにシスターの部屋に放つことを仲間に提案。4人はその前に校舎の時計の下にあった聖アガタ像を盗み出し、廃屋に隠した。翌日シスターに疑われることになった4人だが、証拠は何も出てこなかった。
一方、フランシスはマージ―とデートし、キスを交わす仲になっていた。そんなある日マージ―が実の兄と性的関係を持っていたことを告白する。ショックを隠せないフランシスは立ち去り、ティムの家に行くが、両親のけんかの脇でTVを見つめるティムを見て、そのまま立ち去るしかなかった。
一方、アガタ像の指が学校に送りつけられてきて、シスターは激昂する。ウェイドとジョーイの二人は怖気づいて、クーガーの計画から降りるという。ティムとフランシスは二人で計画を進めるが、マージーのことで苦しんでいたフランシスは現実離れしたティムの計画に腹が立ち、二人で殴り合いをする。殴り合ってすっきりしたフランシスはマージーのことをティムに打ち明ける。それを聞いたティムは「マージーのことを許す。俺は天才だから。」とだけ言った。
動物園に下見に行った日の帰り道、道端で車に轢かれて瀕死の犬を見つける。それを抱き上げたティムに「放っておけば誰かが通りかかるよ。」と言うが、誰も通らないまま犬は死んでしまう。「誰も助けに来ない。それが現実だ!」と泣きながら言い放った。このシーンは、両親に気にかけてもらえないティムの心境を言葉にして表している唯一の場面であり、この映画全体のテーマとも言える、この年代の少年達が持っているであろう心境をティムが代弁しているようにも見えた。
ティム達の書いていた漫画がシスターに見つかり、退学について両親と相談しますと言われ、追い詰められたティムはウェイドとジョーイを召集し、クーガーの計画を実行に移すため、睡眠薬の吹矢を持って、夜の動物園に忍び込む・・・。
4人の男の子を中心に少年期の心理を描いているという点で「スタンド・バイミー」と似ているとも言えなくはないが、そこに恋愛の要素が加わっているのが"21世紀の"と呼ばれる要因だろうか?
さてこの映画では今までの映画にはない技法が使われている。それは少年達の心理描写を従来の映画のようにナレーションにするのではなく、アニメーションで表している点。そのアニメーションが少年達の心理を表していることがわからなくはないんだが、少しずれている気がしていまいち後味のよい作品とはいえなくなった。
この作品の中で何度か出てくるのが"現実"という言葉。フランシスに「"現実"を見ろ!」と言われて、「"現実"を見ろだって?目一杯見てるさ!」と答えるティムだったり、上にも書いたように、「誰も助けに来ない。それが"現実"だ!」という台詞があったり、夢見る「子供」から"現実"を見つめる「大人」へと移り変わっていくこの時期の少年少女の心境を描く上では欠かせない言葉、自分もそんな時期があったなと懐かしく思い出しました。
それ以外にも少年時代の心境を表した台詞が多く心に残る映画でした。それらをいくつか書いて最後にしたいと思います。
「ここが世界の真ん中だと思ってた。」
「僕達が死んでも世界は何も変わらない。」