パーフェクト・ワールド |
テレビをつけたら、たまたまやっていたので、久しぶりに見入ってしまった。最初に見たのは大学生の時だったと思うが、それ以来ビデオを購入したり、DVDを購入したりして、何度見たかわからないほど見た作品。
囚人のブッチは同じく囚人のテリーとともに刑務所から脱走した。途中、民家に押し入った二人は8歳の少年フィリップを人質に逃亡するが、ブッチはフィリップに危害を加えようとしたテリーを射殺する。
警察署長のレッドはチームを組んで、ブッチを追うことになる。彼はブッチが10代のころ、彼の更生のためを思って少年刑務所に送った当人だった。チームの一員である犯罪心理学者のサリーはレッドの傲慢ともいえる捜査方法に反発しつつも次第に彼に魅かれていく。
一方フィリップは自分を一人前の男として接してくれるブッチに親しみと友情を覚え、ブッチも少年が気に入っていた。フィリップは、早くに父親を失い、宗教の熱心な信者である母親のもとで育てられたため、周りの友達がしているような楽しみを味わうことができなかった。そんなフィリップの中に自分に似たものを感じたブッチは、ハロウィンなど、フィリップのささやかな望みを実現させてやる。母と自分を残して去っていった父がよこしたアラスカからの絵ハガキを大事にしまっていたブッチは、フィリップを連れてアラスカを目指す。
車の中で眠っていた彼らにマックという男が声をかけ、二人は彼の家に泊まることになる。翌朝、ブッチはフィリップやマックの子供たちと遊んでいたが、マックが孫を突き飛ばしすのを見て怒り、マックを縛り付けてしまう。フィリップはそんなブッチを見てたまらなくなり、銃でブッチを撃つ。そして、外へと逃げ出していくフィリップ。傷を負いながらも、それを追うブッチ。
そこにレッドが到着し、ブッチを包囲する。レッドの説得に、ブッチはフィリップに別れを告げ、少年を引き渡そうとするが、誤認したFBI捜査官がブッチを撃ってしまう―――。
とにもかくにも、演出が素晴らしい!!60年代のアメリカを舞台にしていて、全体的にのんびりとした雰囲気の中で物語りは展開されていく。脱獄犯が逃走しているにも関わらず、のんびりと逃走しているのも、この時代設定ゆえに気になることはなく、むしろ、こののんびり感がブッチとフィリップの友情関係というか、信頼関係を築いていく過程を描写する上では必須の設定になっている(さらにジーンズ&ネルシャツ、アメ車、トウモロコシ畑といった、60年代のアメリカっぽさを出すための小道具も物語に引き込む上で欠かせない)。
一緒に脱獄したテリーを卑劣な人間として描くことで、同じ脱獄犯であるはずのブッチが悪いやつなのに関わらず、悪いやつに見えない描き方をしている。それがこの物語に入り込むための第一段階。
そんなブッチを次第に慕っていくフィリップ。これが第二段階。
そうして物語に入り込んだ後で、ブッチの豪快な性格というか、いかにもワイルド(=やっぱり犯罪者)という描写をするという描写の順番もというか、物語の構成も素晴らしい。それはたとえば、車の中でフィリップに脅しとはったりの違いを教えるシーンだったり、ハロウィンの服を買った店での店主とのやりとりだったり・・・。
ケビン・コスナー演じるブッチ、そしてフィリップ。このコンビ、本当によく合っている。今まで、自分のしたいことなどできず、自由などなかったフィリップの前に、自分のやりたいことをやっている自由奔放なブッチが現れ、フィリップが少しずつ変わっていく。そんなフィリップをかわいがっている内にブッチも変わっていく。
車の中でパンにマスタードを塗って食べるシーンや、フィリップを車の屋根に乗せて走るシーン。物語の中盤の二人の信頼関係を表すシーンとして見事な場面になっている。
そして終盤の農家でブッチがフィリップに撃たれて二人の決別したと思わせておいて、ラスト・シーンでフィリップはブッチの所に戻ってくる。父と子ほど年齢の離れた二人だが、そこには友情のようなものが見える。死に行くブッチの表情にも安らぎのようなものが見える。二人の信頼関係が友情に変わっていることを示している。
そんな二人を追うイーストウッド扮するレッドも渋い!!完璧に脇役でありながら、追走チームのシーンになると素晴らしい演技を見せてくれる。そして最後の鉄拳制裁のシーン。犯罪者を追う立場の長でありながら、以前にその犯罪者を救おうとして救えなかったばかりか、遂には殺してしまったという、やり場のない苛立ちをコブシに乗せたシーン。今までに見た映画であれば、こういうシーンの場合、ブッチの元へと駆け寄るなり、その場に立ち尽くすといった演出になるのだが、そこをコブシで演出したイーストウッドは本当に見事。
これだけ素晴らしい作品だが、アカデミー賞にはノミネートすらされていない。それはおそらく前年度に「許されざる者」で作品賞、監督賞を受賞してしまったからだろうと、悔し紛れの理由を考えるのは自分だけなのだろうか?