ベンジャミン・バトン 数奇な人生
The Curious Case of Benjamin Button
採点:★★★★★☆☆☆☆☆
2008年3月2日(映画館)
主演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット
監督:デヴィッド・フィンチャー

フィンチャーとブラピのタッグは、「セブン」、「ファイト・クラブ」に続き、今回が3回目。アカデミー賞13部門ノミネートながら主要部門は獲得できず、美術、視覚効果、メイクアップの3部門のみの受賞に終わった作品。遅ればせながらようやく見ました。

第一次世界大戦時のニューオーリンズ。老人の姿で生まれた赤ん坊は、街中の階段に置き去りにされていた。黒人女性のクイニーは赤ん坊をベンジャミンと名付け、老人ホームで彼を育てることにする。そしてベンジャミンは成長するにつれて、若返っていくのだった。
ある年の感謝祭でベンジャミンは少女デイジーと出会い、その後何度か二人はすれ違いながら、ベンジャミンの若返りとデイジーの成長は進み、ようやく同じぐらいの年格好となった二人。ようやく結ばれた二人は子供を授かるのだが、この後も普通に年を重ねていくデイジーに対して、子供へと若返っていくベンジャミン。共に年を重ねることのできない二人の将来は・・・。

率直な感想としてはただ「長い!」だけ。ストーリー的には可もなく不可もなく、って感じで特に盛り上がりもないまま、2時間47分という上映時間がひたすら長く感じた。これが90分~100分前後の映画だったら、もう少し楽しめたのかもしれないが、本当、最後の方はいつ終わるんだよ?って感じでやや苦痛を感じたくらいだった。
要因はいくつかあると思うのだが、一番大きいのは、やはり同じ脚本家が書いた「フォレスト・ガンプ」と展開が似ている点。しかもフォレストほど、1つ1つのエピソードに盛り上がりがない。
両作ともアメリカの歴史を少しずつ入れ込みながら、障害を抱える人間の人生をゆっくり描いているのだが、例えば、"白い羽"と"ハチドリ"のような象徴を使っている点や、誰かが物語を語り、現在と過去を行ったり来たりする展開はまったく同じ。この行ったり来たりの展開は物語にメリハリがある場合は、非常に効果的に働くのだが、物語にメリハリのない場合にこれをやってしまうと、ただでさえ、長く感じる展開をさらに長くさせてしまう。要するに戻ってこなくていいから、早く話を進めてくれ!ということだ。
そしてCG。フォレストは、"実在した昔の大統領と握手"という驚異的なアイデアにCGをうまく使い、見た目の部分で驚きを与えたのと同時に物語の展開に起伏を与えたのに対し、ベンジャミンは全編を通した特殊メイクにCGを用い見た目の驚きを与えるだけで(このCGは驚異的だったが・・・)、物語の起伏を作り出すという意味では、フォレストに大きく劣っている。
これはもしかすると脚本家の問題ではなく、監督の演出部分での問題かもしれないが・・・。ロバート・ゼメキスが撮っていれば、テンポが速く、もう少し盛り上がりのある作品に仕上がっていたかもしれない。

他にも長く感じた理由として1つ1のエピソードが、薄すぎで全く感情移入できないというのもある。この作品の核とも言うべき、ベンジャミンとデイジー。この2人がなぜにあれほど愛し合っているのか?という理由ですら薄い。だから感情移入もできないし、感情移入がないから、二人が再会するのが、待ち遠しいということもなく、"あぁ、また再会したのか?"くらいにしか感じない。これが感情移入した状態なら、"ようやく再会した!次はどんな展開になるんだ!?"って感じで、長さを感じることもない。
他にもいくつもショート・ストーリーが展開されるのだが、それぞれの話が割と独立した話になっていて、他の話との関連性があまりない。フォレストの場合、1つ1つの話が他の話と関連性が高く、"次はどうなるんだ!?"という期待感が高かった。これは明らかに脚本段階の設定の問題。
それと二人が愛し合える年代になるまでおそらく1時間半くらいかかって、ようやくそこから本格的なラブ・ストーリーが始まるのだが、短い映画ならすでに1本終わっている時間であり、やや疲れ気味。しかも感情移入してないから、今から始まるの!?って感じで、さらに入り込めない。せめて二人が愛し合えるまでの物語を1時間くらいで収めてくれていれば・・・というのが正直なところ。例えば以下のようなシーンは要らないのではないだろうか?
-本当の父親が老人姿のベンジャミンを一目で、自分の息子とわかるのは何故だ?という突っ込みどころ満載なシーンは、手紙か何かで"遺産相続しました"って説明だけでは駄目なのか?
-その父親の遺産を受け継いでからのベンジャミンは遊んでばかりで何もしてない
-外交官の妻とのエピソードはまったく不要(他との関連性がゼロ)
-船員の仲間から家族へお金を渡すように頼まれたが、それはほったらかし=要するに不要
-老婆となったデイジーがベンジャミンと自分の話を語る相手としての娘=聞いているだけで何もない。もちろん出産の話はあったほうが話が盛り上がるのだが、日記を読まされるシーンは時間を長くするだけで、まったくもって必要ないのない存在である。
といった感じで、脚本段階で非常に無駄が多いのだ。

ただし、若返りという設定自体は面白く、好きな人がいるのに、一緒に年を重ねることができないという普通ではありえない苦悩は面白いし、老人ホームにいたため、幼い時から人の死を身近に見てきたことにより、何事に対しても淡々とした対応、考え方になってしまったというところも説得力がある。育ての母の死に対しても非常に淡々としていた。
しかしせっかくの若返りという設定がそれ以外に生かされていないのがもったいない。上述した苦悩をもっと深く掘り下げたり、幼児化することにおける恐怖を深く描く(描かれてはいるが浅い)などして、もう少し1つ1つ盛り上がりをつけて欲しかった。そういう意味では幼少期を老人ホームで過ごすという設定が邪魔だったかもしれない。

特殊メイクとCGの融合は見事だった。コンツアー・システムという全く異なる人間同士を一人の人間として合成出来る画期的なシステムをこの作品は使っていて、例えば、老人の特殊メイクをしたブラッド・ピットの顔だけを切り取り、別の役者の胴体と繋ぎ合わせるといったことが可能なシステム。これは今後もいろいろと使い道がある。例えばファンタジー映画の顔は老婆、体はライオンのモンスターとか・・・。
個人的には若返ったブラピを見た時の映像は衝撃でした。というのも老化するメイクは顔の上に皺を書き込んだり、たるみを加えたり、常に足し算であるのに対し、若返りは皺を消したり、たるみを除去したり、引き算であるから。すでにあるものに何かを加えるのがメイクだと思うのだが、既にあるものを取り除くというのが、素晴らしいと思った。これはひょっとして、メイクではなく、CGなのだろうか?
そしてもう1つ、若返ったベンジャミンと一夜を共にした後、服を着る時のデイジー背中も印象的だった。その背中はに肉がたるみ、若さを感じさせることはまったくない。二人の年齢的すれ違いを言葉ではなく、絵で象徴している名シーンと言えるかもしれない。

全体を通して見ると、悪くはないのだが、やはり盛り上がりにかける印象。2時間以内に収めてくれれば、もう少し良い点数になっていたのではないでしょうか?

一口コメント:
時を逆行するというアイデアだけで、無駄に長く、盛り上がりのない作品でした。

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