ソーシャル・ネットワーク The Social Network |
日本ではmixiほどの知名度はないが、設立からわずか6年で5億人のユーザーを集めた世界最大のSNS、Facebookの創設についての話で本年度のアカデミー賞の有力候補でもある作品。
2003年、ハーバード大学に通う学生マーク・ザッカーバーグは、彼女にフラれた腹いせに大学のネットワークにハッキングし、facemash.comというミスコン・サイトを立ち上げる。2時間で22,000アクセスを記録し、それを知ったボート部の金持ち学生から進行中のサイト開発を一緒にやらないか?と声をかけられる。そして大学内の出来事を自由に語り合えるサイトを親友のエドアルドと共に設立し、二人で始めたサイトは、瞬く間にハーバードの学生たちの間に広まり、他の大学へも波及していく。そして音楽ダウンロードサイト、ナップスター創設者のショーン・パーカーとの出会いを経て、全米、そして全世界にネットワークを張り巡らせる巨大サイトへと成長を遂げる。しかしこの過程の中でマークとエドアルドとの友情は壊れ、パーカーとの関係も決別してしまう・・・。
アカデミー賞有力候補という前評判だったが、確かにその可能性を感じさせる作品である。
前半にハーバードという世界屈指の名門大学を舞台にアメリカ東海岸の一種の閉鎖的・伝統的な学生環境の中での生活を描いていて、後半に描かれる西海岸のシリコン・バレーの開放的・新しいビジネス環境の中でのシーンとの対比が見ていて非常に面白い。そしてロケーションが"閉鎖的"から"開放的"に移るのと同時にFacebookも大学生のみが使えるという閉鎖的ネットワークから誰もが使える開放的ネットワークへと変貌を遂げる過程も面白い。
しかも今や世界で5億人のユーザーを数えるまでのSNSとなった、そのサイトを立ち上げるきっかけとなったのが、彼女に振られたその腹いせというのもまた面白い。個人的には"誰と付き合っている"という情報を載せるきっかけを思いついたあたりの描写などもリアリティがあって、脚本の深さがうかがい知れる。
脚本という点から見れば、登場人物をわかりやすく、コンピューター・オタク(マーク)、ビジネス専攻の頭でっかちな学生(エドアルド)、親のコネを使う伝統的なエリート(ボート部の学生)、そしてチャラいが仕事のできる天才肌のビジネスマン(ショーン)と4つのタイプに分けて、いずれも一癖あるキャラクター設定になっており、それぞれの対比関係が物語りに深みを与えている。特にエドアルドがショーンに対して嫉妬とも劣等感とも取れる感情を抱くあたりの描写は絶妙である。
さらにマークに対する訴訟の問答の中で過去のエピソードがフラッシュバックで繰り返されるというストーリーの展開の仕方も見ている人にスリラー映画を見ているかのような感覚を持たせ、最後まで緊張感を保っている。さらにところどころに放り込まれるビクトリア・シークレットのエピソードも物語りにメリハリをつけるという意味で効果的である。
もともとコンピューター・オタクで人間的感情に乏しかったマークがFacebookの設立・成長の過程の中でさらに感情をなくしていくような描き方がされているが、最後の最後にFacebook設立のきっかけともなったある人物にある行為をする描写があり、このシーンを入れることによって、見ている側はマークに対して好意的な感情を少なからず持つことになる。
今までの徹底的なまでの無感情描写で感情移入するための入り口がなかったマークに、最後の最後で入り口を開けるというラストシーンは確かにアカデミー賞作品賞にノミネートされるにふさわしい終わり方である。
各俳優の演技も、上述したわかりやすいキャラクター設定を生かしきっていて、マーク、エドアルド、ショーンの3人にいたってはそれぞれアカデミー賞にノミネートされてもおかしくないレベル。マークのある種、機械的なコミュニケーションのとり方と最後の最後に見せる人間的感情の見せ方は、今までに他の映画で描かれてきたコンピュータ・オタクとは一線を画しているし、エドアルドのショーンに対する嫉妬感情、そしてそれを抱かせるショーンのチャラくありがなら、ビジネスマンとしての天賦の才を細かく見せてくる演技は見ごたえがある。
ひょっとすると作品賞よりも助演男優賞でエドアルドとショーンを演じた2人の方が可能性は高いかもしれない・・・。
ただし、"PHP"、"SQL"や"Perl"といったコンピューターの専門用語が飛び交い、しかもそれを早口で説明されるオープニング・シーンは正直、IT業界で働いていた自分でさえ、うんざりの始まり方だった。おそらくITに縁のない人が見た場合、オープニングを見て、オタク映画なのか?と引いてしまう可能性もある。
それといまいち盛り上がりに欠けるという気がしなくもない。テーマがテーマなだけに、内向的なコンピューター・オタクの話を逆によくここまで盛り上がりをつけたと考えるべきかもしれないが、話の触れ幅がやや狭いので、喜怒哀楽という感情的な触れ幅も狭くなっている。
日本ではmixiが知名度が高すぎて、Facebookを使っているユーザーがどれほどいるのかはわからないが、Facebookをmixiに、ハーバード大学を東京大学に置き換えて見てみると楽しめるのではないだろうか?