マイ・ガール |
もう何度見たか、わからないくらい見ている映画。そして見るたびに毎回泣いてしまう映画でもある。
11歳のヴェーダは、葬儀屋の父親ハリーと祖母の3人で暮らしていた。ある日、メークアップ・アーティストのシェリーが家を訪ねてきて、死体のメークアップ係として雇われることになる。次第にハリーと親しさを増していくシェリーにヴェーダは不安を感じるようになる。
そんなシェリーの側にはいつも幼なじみのトーマスがいた。一緒に自転車を走らせたり、柳の木に登ったり、釣りをしたり・・・。ヴェーダは思春期に差し掛かり、恋心を抱いていた先生の開く夏季講座に参加したり、病気でもないのに、医者にいったり、トーマスはそんなヴェーダに常に付き添っていた。
ある日、父ハリーがシェリーと結婚すると告げる。「どうして大人は結婚するの?」と悩むヴェーダ。ハリーとシェリーのキス・シーンを見てしまったヴェーダはトーマスにキスをしようと持ちかけ、柳の木の下でキスをする。
しかし、ヴェーダが落とした指輪を探していたトーマスが蜂に刺されて死んでしまい、ヴェーダは葬式の会場から泣きながら飛び出していく。そしてたどり着いた片思いの先生の家で、婚約者と名乗る女性と出会い、さらに落ち込み、再び走り去る。
トーマスの死に悲嘆にくれたヴェーダだったが、それを乗り越え、先生の夏期講座でトーマスへの思いを込めた詩を朗読することになった―――。
誰がなんと言おうと、この映画はヴェーダを演じたアンナ・クラムスキーとトーマスを演じたマコーレー・カルキンなくして語れないし、映画としても成り立たない。
まずはアンナ。この映画、彼女につきる!と言っても過言ではないくらいに良い。思春期に差し掛かった、少しマセた多感な少女を見事過ぎるくらいに演じています。性の世界には子供らしい嫌悪感を示すし、パパの再婚相手には嫉妬をする。本当にすべてのシーンが素晴らしいです。オープニング、彼女のアップで映画は幕を開けるのだが、その時のちょっとふてくされた顔も良いし、シェリーに初めて化粧をされた時に見せる"私、大人の女になったのよ!"的な表情、そしてそれに対してカルキンが「唇変だよ、病気?」的な発言をした時のがっかりした表情、そしてその直後に化粧のことなど忘れてしまったかのように遊びに出かける時の表情、すべて良い。
そんな中でも特筆すべきシーンがあるとすれば、2つ。
1つ目はトーマスと2人で家に帰る途中で、トーマスが「僕もベーダのボーイフレンド候補に入れてよ」と言うシーン。その声に振り返った時にヴェーダが見せる表情。そして、それに対してのトーマスが返す笑顔。二人とも天才です。
そして2つ目は父親が再婚すると告げた直後にトーマスの家で、トーマスの母親が彼に接するのを見て、複雑な表情を浮かべた時のヴェーダの顔の演技は本当に素晴らしい。「母親ってどういうものなの?」という早くに母親をなくし、そして新しい母親ができるかもしれないという思春期の複雑な感情を、すべてこの表情で表している。
一方のカルキン。いわずと知れた天才子役ですが、彼の数多い出演作品の中でも、この作品での演技が一番素晴らしいのではないだろうか?トーマスという少年を素のままの子供として演じているというか、素のままのカルキンとして出してる感じだが、間違いなく演技をしている。しかも、主役のアンナに対して一歩引いた感じで受けに徹する役作りをしている!
ちょっと冴えない感じのする役どころだが、時々見せる彼の笑顔は本当に素晴らしいし、11歳という女の子のほうが、男の子よりも少し先に大人への階段を上り始める時期の恋愛に対して少しうとい感じがとてもよく表現されているのだ。
主役2人の演技が合ってこその作品であることは間違いないが、脚本の出来の良さも忘れてはいけない。この作品の主軸は少女から身も心も少しだけ大人に変わっていく、ヴェーダの微妙な気持ちの揺れ動きである。
そうしたストーリー展開の中で、さりげなく展開されるエピソードの1つ1つが、最後の方のシーンで、うまく結びついてくる。例えば、ベーダが行き着けの医者に行くシーンなどがそう。
さらに死に関する3つのエピソード。ヴェーダの家が葬儀屋であること、ヴェーダの母親が出産直後に死んでしまったこと、そしてトーマスの死・・・。これらを通してもヴェーダの成長がうまく描かれている。1つ目の葬儀屋という設定は、ヴェーダにとって"死"というものが身近なものであることを示しているのだが、実は地下にある死体の安置所に入ることもできないほど、死というものを怖がっていることも映画の中では描かれている。
そしてシェリーの登場とトーマスが母親の写真を発見したことによって、母親の死というものを意識し始め、さらにトーマスが死んだことで、"死"から逃げるのではなく、"死"というものを受け止めることになり、嫌悪していたシェリーに対しても、心を開くようなる。
そして最後の最後、ヴェーダがスカート姿で登場するシーンでは、ジーンズをはいていた少女ではなく、少しだけ大人の女性になったということを、スカートを使うことでうまく表現しているし、実際ヴェーダの表情も映画のオープニングに比べると大人になったように見えるのだ。
そしてそんなヴェーダの心の動きを具体的に表現するアイテムとして気持ちによって色が変わる変色リングが登場している点も見逃せない(最初は黒だった指輪が最後では綺麗な青色になっている)。
もう1つ時代設定も、実は重要な役割を果たしている。もしこれが現代を舞台にしていたら・・・、劇中で流れる音楽はこの映画の雰囲気をぶち壊してしまうだろうし、ビンゴ・ゲームに出かけることもなく、それに何より現代の11歳の少年少女では、この2人が演じたノスタルジックな雰囲気は出せないだろう。
2人の天才子役を中心に、それを補って余りうるだけの俳優(ダン・エイクロイドなど)が脇を固めた上で、練りに練られた脚本に沿って物語りは進んでいくのだから、面白くないわけがない!
というわけで、この先も何度も見ることになるであろう間違いのない名作です。