アマルフィ 女神の報酬 |
フジテレビ50周年記念大作、織田裕二主演ということで非常に期待していた作品。
クリスマス直前のローマに派遣された外交官・黒田は、とある邦人旅行者の娘の誘拐事件に巻き込まれる。黒田は少女の母・紗江子の"夫"として、身代金の取引に向かうが、取引は失敗に終わってしまう―――。
一言でいうならば、フジテレビ開局50周年を飾るに相応しい豪華な作品である。全編イタリアロケというだけあって、映像的にはこれが邦画か?と疑いたくなるような豪華な景色が次々と展開されていく。
世界遺産であるコロッセオや、映画「ローマの休日」で一躍有名になったスペイン広場、映画「天使と悪魔」にも登場したサンタンジェロ城など、世界的に見てもトップクラスの観光地が次から次へと展開されていく。
そうした世界観の中を日本人俳優が走り回っているというだけで、今までの邦画とは一線を画しているが、これら世界的に有名なロケーションを長く見せることもせず、必要最低限で飛ばしていく。これが今までの邦画とは決定的に違う点である。
他の邦画であれば、そもそも海外ロケ自体が珍しく、海外ロケを行った場合であっても、基本的には海外の素晴らしい景色を長く見せることに重きをおいてしまうのだが、この作品はせっかく登場したコロッセオも、あくまでも背景の一部として映している。他の邦画に置き換えるなら背景に映るコンビニくらいの扱いである。
唯一、例外的に長く見せたのが、アマルフィ海岸の俯瞰ショットくらい。これは物語の舞台が変わるという流れでのショットであり、今までのカットが短かく、イタリアの景色に対して消化不良だったことも手伝って、唯一長く映されることで逆にこれがアマルフィの海岸線の美しさを際立たせるという効果もあった。
映像的には今までの邦画とは一線を画す作品だったのだが、ストーリーはというと、少々残念な結果となってしまった。
映画のオープニングが物語の途中とつながっているのだが、その途中を最初に持ってきた意味があまりにもなさすぎる。物語というのは基本的に時系列なものである。その時系列を崩す映画は、あえてそれを崩すことによって、物語に何か意味を持たせるために崩しているのだが、この作品のオープニングのそれは何がしたかったのだろうか?
よく見ているとエンドロールに脚本がクレジットされていないのだが、もともとは「ホワイトアウト」の原作者・真保裕一と監督が共同で執筆したらしいのだが、作品を見る限り、物語途中の謎解きまでは真保が、クライマックスに向けての穴だらけの部分は監督が書いたのではないだろうか?でもって真保が最終脚本を気に入らなかったためにクレジットを消したとか・・・?
謎解きに関しては、いろいろなところに非常に巧妙に伏線が張り巡らされていて、犯人が提供した謎を主人公が解くたびに次の謎が提供されていくことで、ストーリーは常に緊張感が保たれている。中でも監視カメラを使って謎を解いたつもりが、実はそれこそが犯人の狙いだったというあたりの設定は非常にうまい。
・・・と、ここまではさすが真保さんの脚本だな~と感心していたのだが、犯人がわかった辺り(正確には犯人の狙いがわかった辺りだろうか?)から、いろいろと脚本の欠陥部分が見えてくる。しかもそれがクライマックスに向けて盛り上がるべきところでの欠陥なので、映画としてはかなりのマイナスである。
例をいくつか挙げてみよう。
犯人の最終目的に対する理由が個人的な私怨というのが、今までの世界観やスケール感と比べて、あまりにもバランスが悪すぎる。
また誘拐の対象を邦人の少女にした理由がいまいち納得できない。その少女でなければならない必然性がないのだ。ひとつの理由として犯人とつながりのある紗江子の娘というのがあるにはあるが、極論犯人とつながりがなくても良い、つまりイタリア人でも良いわけだし、誘拐を利用して最終的に成し遂げたかった目標に対する確率から考えると、この少女であるほうが確立は低かったのではないだろうか?
また、ようやく判明した犯人グループに対して感情移入するだけのバックグランドがほとんど描かれておらず、犯人側の主張が響かない。さらに本来すごく頭の良いはずの犯人が、出入国履歴を調べるだけで、すぐに疑われてしまうようなミスを犯している点もキャラクター描写という点からみるとマイナスである。
そして最も大きかったのが、謎解きのピークが残り40分くらいに来て、それから先は上述した犯人側への感情移入がない状態でのドラマが展開されるのみで、そこまで保たれていた緊張感はなくなり、エンディングに向けてどんどんトーンダウンしていくという全体のバランスを考えていない構成。
これが犯人側へ感情移入できるだけのバックグランドを描くなり、それまでの世界観に見合うだけの理由をつけるなり、謎解きのピークを最後の最後に持ってくるなりしていれば、かなりの良い作品になっていただけに非常に惜しい。
これらの欠陥をなくした上で、さらに欲張って言いたいことがある。物語は基本的に犯人の描いた地図通りに進んでいくので、よくある探偵ものと比べて特筆すべき点がないのだが、例えば犯人の筋書きの上を行く、あるいは裏をかくような主人公の行動があれば、傑作と呼べる作品になっていたのではなかろうか?
脚本以外にどうしても納得のいかない点が1つある。それは途中で2回ほど、余韻が欲しいところで、突然ブラックアウトになり、前後の流れなど無視したようにブツリと切れてしまうシーン。監督は明らかにこれを狙ってやっているのだが、一体何を意味しているのか?どこかで説明して欲しいものだ。
といった感じで脚本を中心にいくつか問題はあるのだが、続編があるのならぜひ見てみたい。それは登場人物の設定がとても魅力的という理由だ。
外交官・黒田。今までの日本映画で外交官をここまで全面に押し出した作品がなかったこともあり、役柄そのものが非常に新鮮だったこと。
そして実は外交官としての役目だけでなく、重役のボディ・ガード的な秘密任務も遂行しているという役どころも実にうまい。外交官ということで舞台が海外になる上に、秘密任務遂行ということでスパイ映画的要素も必然的に加味されるため、日本が舞台の映画ではあり得ないような設定も組み込める。
具体的には、オープニングのスリからお金を取り返す登場シーンはさらっと格好良いし、車についた泥を見て天候を調べさせたり、監視カメラに気づき、そこから犯人を割り出そうとしたり、役どころは外交官だが、やってることは探偵以外の何者でもない。
さらに「邦人を保護するのが外交官の仕事」とまじめなこと言ったかと思いきや、方や「無駄遣いは外交官の特権」なんてふざけたことも言ったりする。しかも口数が少なく、無愛想という設定で、なんとも魅力的なキャラクターである。TVドラマ「振り返れば奴がいる」で演じた司馬先生にどこか似ている感じだ。
今作はイマイチだったが、しっかりと練られた脚本があれば、キャラクター・ドリブンの壮大なスケール感を持った続編が期待できる。
さらにこの作品が今までの邦画と違うだけでなく、ハリウッド映画とも大きく異なる点がある。
それは血が流れなかったということ。(厳密には1人だけ耳を撃たれていますが・・・)通常ハリウッドのスパイ映画なり、アクション映画というのは基本的に派手な銃撃戦があり、何人もの人が死に多くの血が流れる。しかしこの作品は誰も死なず、流れた血もほぼゼロ。それで、この規模の映画が成り立っているという点は素晴らしい。
最後にひとつ、「キャプテン翼」がヨーロッパでも放映されているという事実は知っていたが、まさか映画に登場するとは思わず、個人的にはそれだけでもこの映画を見て良かったと思える作品でした。