DEATH NOTE/デスノート
the Last name

採点:★★★★★★★☆☆☆
2007年1月13日(DVD)
主演:藤原 竜也、松山 ケンイチ
監督:金子 修介

前編公開からわずか5ヶ月での公開、さらにはDVD発売前にTV放映・・・と話題性には事欠かなかったこの映画「DEATH NOTE」。原作の濃密な内容をまとめ切れなかった前編を一体、どのようにカバーするのか?そして宣伝文句で使われていた"誰も知らない結末"とは一体どんなものなのか?楽しみにしていた作品。

ある日、第二の死神レムとともに、人間界にデスノートが舞い降り、アイドルの弥海砂がそれを手に入れ、第二のキラとなる。そして彼女は顔を見ると名前が分かる死神の目を使い、キラである月(ライト)を探し出す。
一方"L"は弥が第二のキラだと断定し、彼女を監禁する。軟禁された弥を救うために、ライトも自ら監禁され、第3のキラ、ニュースキャスターの高田清美を"L"と共に追い詰めることになる―――。

描かなければならない話が山ほどあるので、前編の内容は知っているとの前提で後編は始まる。それゆえにTV局映画の強みを活かして、DVD化よりも先に地上波放送に踏み切ったことはある意味、TV局の英断だったのではないだろうか?
これを機に、今後の日本映画界の流れが変わる可能性がなくもない。

さて、前編に引き続き、今回も脇役の演技がひどい!監督はよくもまぁ、この演技を見て、NGではなくOKを出したなと思える演技がところどころで見られる。特にひどいのがさくらTV祭りでのエキストラ(台詞はあるが・・・)的人間の演技。ひどすぎる!!
さらに、これまた前編同様、警察庁長官のキャラクターは相変わらず軽い。白い手袋をして、その上に白いマフラーを巻いている警察庁長官なんて、絶対にいないだろ!?というか、絶対に嫌だ、そんな長官に日本警察を委ねるのは・・・!!

そしてもう1つ。この映画は前編後編同時に撮ったのだと思っていたが、藤原竜也の顔を見る限り、前編と後編を同時に撮影しているようには思えない。後編の藤原は前編と比べて、かなり太っているように見えたが、気のせいだろうか?
その一方で、"L"役の松山ケンイチは良かった。特に大学の教室でライトの後ろに現れ、さらに構内をひょっとこのお面をつけて歩く場面が非常に良い味を出している。原作の持つ"L"の茶目っ気を思う存分味わえる。捜査本部内での描写もコミカルさをどことなく感じさせ、そしてそれこそが終盤のシリアスな演技を引き立てている。
ただし、前編同様、脳内思考の声はすべて省略されており、原作を知らない人にとっては、ラストシーンになるまで、"L"が世界一の名探偵だということを理解できずに、前編同様、直感でものを言い当てるだけの探偵にしか、感じられないのではないだろうか?
ただし、それらを全てひっくり返すだけの説得力を、最後の"L"の賭けが示しているので、その点は目をつぶっても良いのかもしれない。

演出に関して言うと、前編ではまったく描かれることのなかった警察本部の人間描写を多少盛り込んでいたのだが(例えば松田が銃の射撃は得意だという話など・・・)、この程度の描写であれば、特に描く必要もなかったのではないだろうか?
その割を食ったのが高田清美。彼女がなぜあそこまでキラ派になっていったのか?という描写が薄く、そのため、彼女が盗撮され、犯行が発覚するシーンはあまりにもあっけなさ過ぎるし、死神の目の取引をするくだりも緊迫感がない。さらに彼女が逮捕されるシーンもそれほどの衝撃がない。そしてその高田だが、なぜあそこまで足の露出度が高いのか?特に何の意味もなく、あれは監督の個人的な趣味だろうか?さらにライトが高田を第3のキラだと断定するプロファイルもいまいち弱い。弱いというか、ちょっと強引すぎる。
そして原作においては、ライトのリーサル・ウェポンとも言うべき時計に仕込んだデスノートの切れ端を使うシーンも、もう少し、緊迫感のある演出をしてもらいたかった。何しろ、時計に仕込んだ切れ端に何かをしているのが、バレバレだから・・・。
そして最後の最後、タイトルにもなっているLast Nameを書いた時。映像的にはノートに書かれた名前のアップ⇒それを見て驚く、ライトの顔のアップ⇒弥のアップ⇒父親のアップとなっているが、ノートに書かれた名前のアップは一番最後に持ってきたほうが、演出的には面白い。

ただし、脚本そのものは、前編に比べてかなり質の高いものになっていたのではないだろうか?原作におけるヨツバ編をどう描く、いや、どのように省略するのか?と思っていたが、映画オリジナルキャラとはいうものの、名前はそのままの高田清美を、映画には出てこない原作におけるヨツバキラ火口と第4のキラ魅上を混ぜた設定にして、ストーリーをつなげた点はうまい。

さらに、これまた映画に出てこない"L"の後継者であるニアとメロを"L"の中に盛り込んでいる点も忘れてはならない。
原作において、ニアが「私は"L"を超せない・・・もしかしたら私(ニア)は行動力に欠け、メロは冷静さに欠ける」と言っていたことを、端的に示したラストシーン。ニアとメロ、2人が持つ異なる能力を1人の人間が持っていることを端的に示した"L"の最後の策略は、原作においてニアが取ったノートに名前を書かせるという作戦と、それを実行させるためのメロの大胆さを合わせた「2人なら"L"に並べる、2人なら"L"を超せる」というニアの言葉を具現化した"L"だからこそ、成せる業。
原作を知らない読者にもある程度、話がわかるように省略していながら、映画においては、まったく描かれることのない魅上、そしてニアとメロといった原作のキャラクターの存在を、原作の大ファンである自分が感じられることができたという意味で、後編の脚本はかなりの完成度であると言って良い。
(ただし、それを映像的に感じられないのは、上述したように演出の問題だろう・・・)

他に挙げるとすれば、ライトが"L"に対して、「馬鹿」というシーンは個人的にはお気に入りのシーン。ジェラスが出演しているのも、個人的にはとても喜ばしい。後は、最後のトチ狂ったライトを演じる藤原は本領発揮といった感じで、さすがだった。
原作ファンとしては、ライトと"L"のテニスシーンや、手錠シーンをしたままの殴り合いシーンとかも見てみたかったような気もするが、ま、そこは映画ということで良しとしよう。

全体的には、本来ならひどい映画になっていただろうが、最後の結末がこの映画を救ったという印象が強い。結末がいまいちだったら、いったいどんな批評を受けていたのだろうか?

一口コメント:
原作ファンもそうでない人も、ある程度楽しめるように書かれている脚本の質の高さは素晴らしいが、その質の高さを演出がダメにしてしまっているのが、とても惜しい。

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