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神様のパズル |
「T.R.Y.」でチョロッと見て、後々「リリイ・シュシュのすべて」の男の子だと知り、ドラマ「ROOKIES」で一躍ブレイクした市原と3年間で18本の映画に出演した谷村美月主演作ということ+宇宙の真理に迫る作品+三池崇史監督作品ということでかなり楽しみにしていた作品。
双子の弟が、突然海外旅行へ行ってしまい、残された基一は弟の代返をするために素粒子物理学のゼミに出席する。ある日、教授から不登校の天才サラカをゼミに連れてきて欲しいと頼まれる。天才ゆえにすべての理が見えてしまう彼女にとって大学は退屈だったのだが、基一の「人間に宇宙を作ることはできるのか?」という言葉に魅かれて、翌日サラカはゼミへと顔を出した。そして、基一はサラカと同じチームで、「人間が宇宙を作れるか?」について、研究発表することになってしまう・・・。
これはおそらく好き嫌いが真っ二つに分かれる作品だろう。しかも嫌いの中でもその理由が真っ二つに分かれるかもしれない。
一つは「物理学」が難しくて嫌い。
学生時代に数学が嫌いでした、物理が嫌いでしたという人たちにとって映画の前半は○○定数やら、Xの何乗だの、聞いただけで嫌になる言葉のオンパレード。逆に数学大好きでした、物理大好きでした!という人にとっては聞いてるだけで楽しいかもしれない。
そしてもう一つは三池作品が嫌い。
アクの強いことで知られる彼の作品のテイストが映画後半の軸となっている。なので、突拍子もない設定で、前後のつながりなどまるで無視したような展開が繰り広げられる。それについていけない人にとっては辛い展開だろうし、逆にコアなファンにとっては物足りない内容かもしれない。
この2つの条件をクリアできない人にとっては、この作品はとてもつまらない映画になるだろうが、いったんこの条件をクリアしてしまえば、とても良い作品になるのではないだろうか?
まずそもそも設定が非常に面白い。
"寿司屋で働く落ちこぼれロッカー"と"人工授精で生まれた天才少女"、そんな二人が"宇宙を創り出すことができるか?"というアインシュタインさえも解けなかった神様のパズルに挑むのである。この設定に魅かれない人が一体どれだけいるのだろうか?
前半は宇宙創世論についての大学におけるディスカッション。上述したように知らない人にとっては意味不明な言葉が次々と出てくるのだが、宇宙創世を「なんていうか、プッって感じ?」と表現する落ちこぼれロッカーがわかりやすく図解入りで説明してくれるため、ある程度この範囲に興味のある人であれば、すんなりと飲み込めるのではないだろうか?さらに"超ひも理論"、や"M理論"といった難しい言葉も三池節で小難しい言葉を笑いに変換してくれる。
前半の結論として、"宇宙は無から生まれた。なら、もう1度創り出せるか?"という問題が提起される。
"宇宙を作ったのは神なのか?"
神を信じないサラカが、逆説的に"人間が宇宙を作ったら、神がいない事が証明される"という信念に従い、宇宙創世を目指すのが、後半の展開。
前半を宇宙創世論に関する展開だとするのであれば、後半は映画崩壊論の展開だとでも呼ぶべきか?
いわゆる三池節がそこかしこに見られる。中でもクライマックス・シーンでどこからともなく現れるマイク・スタンドは「なぜそこにそんなものがあるんだ!?」という疑問を抱かずにはいられない。それこそが三池節とでも呼べばいいのだろうか?
三池作品が好きな人にとっては、待ってましたの展開であり、そうでない人にとっては、今まで積み上げてきたものすべてを崩壊させてしまう展開であり、やはりこれぞ三池!呼ぶべき展開なのかもしれない。
全体を通して見ると、やはりキャラクター設定が抜群の作品だと言える。
人工授精で生まれた超天才児であり、外界に対して心を閉ざしたサラカ。
その心を開かせるのが、間逆の大馬鹿者、基一。
そしてその双子の弟。
まずサラカと基一だが、既に上述したが、天才ですら解明できないような宇宙創世論を大馬鹿者が仲介に入ることで、一般人にもわかりやすく説明されている。そして二人それぞれの背景も間逆であるために、お互いが自分の知らない世界に興味を持つことで次第に2人が近づいていく。これこそがこの2人のキャラクター設定の核とでも言うべき部分であり、そこに物語に観客を引き込ませる力がある。
しかもそんな間逆の2人にも共通項がある。それが音楽である。ベートーヴェン「運命」の出だしの8分休符についてサラカが語るシーン、そしてその流れを汲んだラストの「喜びの歌」のロック調の演奏へと続く一連の流れ。天才と馬鹿をつなぐものが音楽であり、クラシックとロックすらつないでしまう。
そして一見、別に登場しなくてもいいんじゃないか?とすら思える弟。実はこの弟の存在が大きい。双子なのに全てにおいて弟の方がうまく立ち回る。例えば、母親は弟のことをどこに出しても自慢の息子だ"と呼ぶのに基一のことは"どこに出しても恥ずかしい"とさらっと言い放つ。その弟は、本筋の流れとは間逆(物理学とはまったくかけ離れたという意味で・・・)のインドの精神世界を放浪する。兄が科学で宇宙を作ろうとしている一方で、弟は精神論から内なる宇宙創世に励むのである。
この対比の仕方が面白い。よくよく見てみるとこの作品、いろんなところに"対比"が見られる。
例えばそれが主人公が双子という設定であり、ロックを愛すると同時に江戸前寿司の修行をしたり、"科学"を象徴するような最新のエネルギー装置が、"自然"を象徴するような田んぼの真上にそびえていたり、自然に生まれた大馬鹿者と人工授精で生まれた天才児だったり・・・。
そんないろんな対比の中で、出来の良い弟に出来の悪い兄貴という設定が効いてくる。ある意味で母親にすら見捨てられた、孤独を理解できる基一だからこそ、「自分のことを天才だなんて言った事は一度もない!」と言う天才児サラカの孤独を理解できるのではないだろうか?
そう、最初は間逆に位置していたはずの二人が、宇宙創世というとてつもない体験を共有し、そして最後には同じ心境すら共有していたということになるのだ。
さて三池節といえば、谷村美月の胸をこれでもかと強調したり、ところどころにボタンを配置して、そのボタンを押して"妄想"世界に入ったり、と本筋の流れ以外の細かい部分でも楽しませてくれる。
その一方でネットワークを使用して、とても時間のかかる計算の分散処理をしたり、インターネットにハッキングして自衛隊のコンピューターを制御したり、そういったディテール描写も個人的には非常にも面白かった。
自分は正直、三池作品はあまり好きではなかったが、この作品でそれが払拭されたような気がします。