君の膵臓をたべたい |
お盆で空いているかと思いきや、意外に混んでいた映画館。特にこれを観たい!と思って行ったわけではなく、やっている中から適当に・・・と思って、いざ映画館に到着すると「トランスフォーマー 最後の騎士王」、「スパイダーマン:ホームカミング」、「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」といったハリウッドの大作シリーズものやトム・クルーズ主演の「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」、ジブリから独立した監督による新作アニメ「メアリと魔女の花」、ヒット漫画原作の「東京喰種」などが並んでいる中、選んだのがこの作品だった。選んだ理由はそのタイトルの奇抜さと主題歌がミスチルというそれだけの理由で、ストーリーについては全く知識のない状態で鑑賞した。
母校の高校で教師をしている春樹は机の引き出しに辞表を隠しながら毎日を過ごしていた。そんなある日、廃館が決まった図書館の蔵書を整理する役目を任される。高校時代に図書委員としてラベルを整理した経験を持っており、蔵書を整理する過程で1人の生徒と会話をする中で、春樹自身の高校時代の話になった・・・。
クラスの中でも地味で目立たない春樹は、ある日病院で、クラスで人気者の桜良の闘病日記「共病文庫」を偶然見つける。その日記がきっかけで彼女が膵臓の病気で余命わずかなことを知り、なんとなく一緒に過ごすようになる。自分の死が近いことを知りながらも悲観的な素振りを一切見せずに明るく振る舞う桜良、そしてそんな彼女の秘密を知りながらも同情をするわけでもない春樹。桜良が死ぬまでにやりたいことに付き合う中で、人付き合いが苦手だった春樹も少しずつ変わっていく―――。
タイトルからホラーだと判断してしまいそうな作品だが、さすがにミスチルが主題歌を歌うだけあって、ホラーではなく、涙の感動作品だった。
全体的な印象としては、大人になった主人公が学生時代を振り返りながら物語が展開していく感じや、ヒロインが不治の病に侵されている感じなど、「世界の中心で、愛をさけぶ」と似た印象を受ける。そういえばセカチューは2004年公開なので、あれから13年も経っているんだなぁ・・・と懐かしい気持ちになったりもした。
さて、この映画のタイトルである「君の膵臓をたべたい」。観終わってみると鑑賞前とは違った意味で改めてすごいタイトルだと感じる作品。
昔、夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね。」と訳せば日本人には伝わると言ったとか言わないとかの逸話があるのだが、それに通じる言葉をタイトルにして、さらにエンディングの最後の最後に持ってくるという荒業を成し遂げている。
主人公の2人は恋人ではなく、あくまでも"仲良しさん"として描写されている。そんな関係性の中で引っ張っていくのは女性の桜良で、そんな彼女に振り回されるのが男性の春樹。頼りなくもあり、いじらしくもあり、微笑ましい関係性。
そんなライトな関係性だったからこそ、この作品のテーマ=生きることの意味が最後の最後で効果的に効いてくる。これを2人の恋愛感情を中心に描いてしまうと、"生きることの意味"が薄れてしまっていたのだが、そのあたりのバランス感覚がとても上手かった。
前半は主人公の春樹(=男性)目線、後半はヒロインの桜良(=女性)目線で描かれていて、感情移入のスイッチが2つあるあたりも上手い。前半は桜良の行動に振り回されっぱなしだったが、後半は桜良の生きることに対する強い思いと、1人の人間としての(男性としてではない・・・)春樹に対する熱い想いが前半の会話のシーンを再現しながら描かれていて、見た目の明るさとは違う、内に秘めた感情に良い意味で振り回される。
このヒロイン像が鼻につくという人も恐らくいるだろうと思われるほど、とことん明るく"いたずらっ娘"なのだが、自分の場合は「東京ラブストーリー」のヒロイン・赤名リカが高校生だったらこんな感じだろう、と思って観ていた。赤名リカを大好きだった自分はすんなりと(いや、むしろ熱狂的に?)桜良のキャラには感情移入できたし、春樹が彼女に振り回されることに対しても何の違和感も感じなかった。
また自分が高校時代に余命を宣告された場合、悲劇のヒロインを演じるよりは恐らく桜良と同じようにやれることをやり、言いたいことを言い、自由奔放に振る舞っていたであろうことを考えると彼女の行動に不自然さは感じなかった。
その一方で春樹のように冷静に振る舞う自分がいることも想像できるため、この2人のバランスはとてもしっくり来るのだが、もしかすると自由奔放に振る舞えなかったり、人の行動に振り回されるのが嫌な人にとってはただ鼻につくだけで物語に感情移入するどころではないのかもしれない。
物語が進み、共病日記に書かれた桜良の本当の思いが明かされていくと、より強い思いが胸にこみ上げてくる。家族以外は、例え親友の恭子でさえも秘密を打ち明けない彼女なりの優しさと死に対峙する孤独の両面が見えてくるからだ。
偶然とはいえ、秘密を知ってしまった春樹に対して「本当は君のようになりたかった」とある種の憧れのような感情も見せる。それは自分にはない"強さ"を持った春樹に対して抱く桜良の想いである。
片や同じように自分にはない"人との関わりの中で生きる"彼女にひっかかりを覚えた春樹の想い。2人のそれぞれの想いが交錯していくストーリー展開は見事。
また桜良は"運命"を否定し、「運命とは選択の積み重ねの結果」だと言う。病院で春樹が共病日記を拾ったのは決して偶然でも運命でもなく、あくまでも"拾う"という選択の結果というわけだ。当然"拾わない"という選択肢があり、"拾う"ことを拒否することもできたわけだから。
そして作中に何度も登場する「真実と挑戦」ゲーム。これこそが端的にこの"選択"の重要性を表現するツールとして描かれていて、ゲームというなんとなく楽しそう、かつライトな切り口から2人の深層心理に迫っていくあたりの描写もとても上手い。
その流れの中で、この作品の核心ともいうべき"生きることの意味"を、実は春樹がずっと避け続けてきた価値観だという逆説的な答えとして提供している(大人になった春樹を見る限り変わらなかったようだが・・・)。
そして桜良が病気ではない理由で死んでしまうシーン。人によってはかなり違和感を感じるシーンかもしれない。だがこれこそが、桜良が言っていた"人は必ず死ぬ"ということ、逆を返せば"生きる"ことの難しさをこれ以上ないほどの驚きを持って伝えているシーンなのだ。
そしてその喪失感は胸の奥に静かに蓄積してきて、春樹が1ヶ月苦しんだ後、桜良の親を訪ねて、「筋違いなのはわかっているんですけど、泣いてもいいですか?」と言ったシーンでは春樹と同じものが頬を伝っていた。
そしてそんな2人を演じたのが知名度がそこまで高くなく、他の作品での色がついていない若手俳優というキャスティングも上手い。ただし興行的に成功させる必要があるため、大人になった春樹と桜良の親友だった恭子を小栗旬と北川景子で固めるというあたりも絶妙。
実は共病日記を春樹が読むシーンで何か凄い謎解きがあるのか?と思ったら、意外と拍子抜けの普通の内容しかなくて、うーん?と思っていた。しかし物語前半で図書委員となった桜良がでたらめな番号を振って、正しい番号を付けるように怒る春樹に「頑張って探して見つけた方が嬉しいでしょ、宝探しみたいで!」と言った台詞が、からかっているだけの台詞かと思っていたら、実は重要な伏線となっていて、最後の最後に綺麗に回収された瞬間は爽快感と感動が一緒に訪れた。そういえば桜良の死も実は伏線が張ってあったことにも後から気づいてもう1度爽快感を味わえた。
ただし、別に手紙に分ける必要もなく、共病文庫に書いてあっても問題はなかったのではないか?とも思う。
また桜良の親友だった恭子の結婚式当日に手紙を発見し、それを式の前に持っていって渡すのはちょっとやり過ぎだと感じる。春樹の興奮を伝えたかったのかもしれないが、それは後日でも良かったのではないか?というのが正直なところだ。
とはいえ、上記2点を除けば、ここ数年の邦画の実写作品の中ではトップレベルの仕上がりであり、もし"大人になってから高校時代を振り返る映画"というジャンルが存在するならば、2000年代を代表する「世界の中心で、愛をさけぶ」と同じように2010年代を代表する作品となること間違いなしの作品です。