寄 生 獣 |
高校生の時に初めて原作を読んで、その内容に衝撃を受けて、2015年となった今日においても「DEATH NOTE/デスノート」と並び、自分の漫画史の中ではTOPを守り続けている作品の映画化ということで楽しみにしていた作品。
ある日、海中から出現した謎の球体。そこから誕生した寄生生物、パラサイト。人間の脳に寄生し、他の人間を文字通り食していく。高校生・泉新一もイヤホンで音楽を聴きながら寝ていたところを襲われるが、必死に抵抗したことで脳ではなく右手に寄生されることに・・・。
最初はつたない言葉しか話せなかったパラサイトだったが、ものすごい速度で言葉を学んでいくパラサイトのことを新一はミギーと呼ぶようになり、少しずつお互いの距離が近づいていく。そんなある日、ミギーが自分の仲間がいる!と言い出した。ミギーの指示に従って、ある場所にたどり着いた新一はそこで人間を食べているパラサイトを目撃する!
やがて、新一の通う高校に田宮良子という教師のパラサイトやって来る。彼女は2人のパラサイト・島田秀夫と警官のAを新一に紹介する、後にこの2人が事件を巻き起こすとも知らずに―――。
原作の完成度が高すぎるだけに、実写映画にそこまでの高いレベルは求めていなかったが、良い意味で期待を裏切ってくれた。
まずは脚本。父親や宇田の存在を消したり、最初の戦闘を犬から人に変更したり、パラサイトの登場を空からではなく海中からにしたり、原作からの変更点はいくつかあるが、物語の進行上大きな問題はない。
この作品の本質は「我々は何者なのか?何のために生きているのか?」といった哲学的な概念であり、それと同時に母親の母性の神秘である。もし父親ではなく、母親の存在を消したのであれば大問題だったが、逆に良く父親を削除する決断をできたと感心する。
原作からの変更点で最も大きかったのは、加奈という人間でありながらパラサイトの波長を感じ、さらにはその波長を発生することができる女子高生の削除。もしかしたら後編で登場する可能性もあるのでその議論は後編でしたいと思う。
物語の前半の見せ場とも言える、島田との対決、母親に寄生したパラサイトとの対決に関しては素晴らしかった。まずは島田との対決。原作では石で倒すのだが、この実写映画では別の道具を使って島田を倒す。その前振りもきちんとしてあり、その一連の演出は見事だった。
そして母親との対決に関しては、原作の宇田の存在を削除したことが、1対1で親子の肉体的・精神的な対峙を描くことにつながり、さらに親子の絆を深堀することにフォーカスさせており、この作品の1つのテーマでもある"母性"を描いている。ただしこれはあくまでも新一から見た一方的な母性であり、母親から見た母性という点に関してはもう少し描写が欲しかったというのが正直なところ。右手首の火傷を何度か見せてはいたが、それをミギーに対して口頭で説明するだけに留めたのもマイナス。そこはこの前編のキーとも言えるシーンなので、言葉ではなく回想シーンで絵として描いてほしかった。
また最後の最後にパラサイトが母親の愛情っぽいものを見せたが、パラサイトが寄生した後にあれを見せるのはこの作品に関してはルール違反。パラサイトはミギーが原作で何度も言うように"情"というものは一切持たない生物であり、その冷徹さが後編の感動につながるのだが、前編の最後でそのルールを破り、悪い意味で大衆化させてしまったのも残念だった。本来ならその冷徹さが後編の田宮良子のクライマックスにつながる重要な伏線でもあると思うのだが、もしかして後編は原作から大きくかけ離れてしまうのだろうか!?
基本的にパラサイトに関しては無機質なしゃべり方に徹しており、深津絵里も前編に関しては田宮を演じ切っており、後編のクライマックスにどんな演技を見せてくれるのか?非常に楽しみだ。東出演じる島田秀夫も不自然な笑みなどは秀逸である。その昔、速水もこみちをロボットとして使用したTVドラマがあったが、演技力の無いもこみちを敢えてロボットにするという秀逸なキャスティングに感動すら覚えたのを思い出した。
そういった意味ではミギーの声のキャスティングだけは解せない。冷静沈着なはずのパラサイトが感情を持ってしまっている。冷静沈着で"情"のかけらも見せないミギーだからこそ、最終的な感動を呼ぶのだが、そこは後編でどうなるのだろうか?ミギーに感情があるからパラサイトに寄生された母親にも母性という名の感情が残っているというのだろうか?そのあたり、後編で綺麗にまとめてほしい。
キャスティングという意味では泉新一役の染谷将太は良かったが、2つ残念だった点がある。胸に穴が空いた後に鏡の前でその穴を見るシーン。染谷の体の締まりの無さ・・・。これはもう残念を通り越して無念と言っても良い。もう1つは母親を殺す決意を固めた後の逞しさ。原作では「ヤツを!」という個人的には原作の中でもトップ5に入る名シーンなのだが、物語序盤の普通の高校生からデキル男へと変貌するその豹変ぶりが染谷では物足りない。悪くはないのだが、足りないのだ。
この映画が10年前に作られていたのだとしたら山田孝之演じる泉新一というのも見てみたかったというのが正直なところ。染谷将太も良いのだが、山田の場合、「電車男」の冴えないオタクからTVドラマ「WATER BOYS」や「闇金ウシジマくん」シリーズなどで見せた精悍というかワイルドな男まで演じられる役の幅を持っているので、彼の演じる泉新一も見てみたかった・・・。
ヒロインの村野里美を演じた橋本愛もやや逞しすぎる感が否めない。泉新一が逞しさを売りに(しているわけではないが・・・)か弱い里美を守るという構図があるはずなのだが、橋本愛は見た目がたくましすぎる。「告白」で初めて見た時はその将来性を大いに感じたもので、今でもその可能性は感じるのだが、里美を演じるには顔が強すぎる。染谷の持つか弱さと橋本が持つ逞しさが逆転していれば最高のキャスティングだったかもしれない。
そしてその里美が「ごめん、人違いでした」というシーンは「ヤツを!」と並び、原作トップ5に入る名シーンなのだが、橋本が演じる里美ではやはり強い感が否めなかった。
そしてこの作品の最大の欠点はVFX。ハリウッドが実写化の権利を10年以上も持っていたのだが、今回の映像を見て日本のCGの限界、そしてハリウッドのCGのすごさを痛感させられた。日本のCGはハリウッドに比べて予算が1桁、場合によっては2桁違うこともあり、仕方がないといえば仕方がないのだが、やはりハリウッド版のミギーやその他のパラサイトを見てみたかった。
特に島田秀夫を含め、頭が分裂していく際のCGの質感のプラスチック感たるや・・・。写真などで見るとそのレベルが如実に表れる。20年以上前にハリウッドで作られた「ターミネーター2」のCGの方がレベルが高いと言わざるを得ない。皮肉にもその監督であるジェームズ・キャメロンが原作の読者であり、そこから発想を得て作られたのがあの金属体だという話もある。
恐らく賛否両論分かれる作品になるとは思うが、まだ前編。個人的には楽しめたので、後編を楽しみにしたい。