インファナル・アフェア
採点:★★★★★★★★☆☆
2003年10月17日(映画館)
主演:アンディ・ラウ、トニー・レオン
監督:アンドリュー・ラウ

―――マフィアに潜入した警察官と警察に潜入したマフィア―――
この設定だけで面白いと思い、更にハリウッドが史上最高額でリメイク権を獲得したと聞き、映画館に足を運んだ。

ラウは18歳の時にマフィアの一味となり、幹部のサムの指示により、警察に潜入することになる。同じ頃、ヤンは警察学校を強制退学となり、マフィアになった。しかし実は潜入捜査官としてマフィア内部の実状を探るための策略だった。それを知るのはウォン警視を含めて2人だけだった。
それから数年後、ラウは内部調査課課長に出世し、一方ヤンは何度か逮捕され、自分を見失い、精神科に通うようになっていた。
ある日、ヤンからの情報を得たウォン警視は覚せい剤の一斉検挙を実行する。それを阻止するためにサムに情報を流すラウ。互いに機密情報が漏れ、検挙も取引も失敗に終わり、お互いに内偵者がいることに気付き、それぞれの裏切り者を探すことになる。その任に当たったのが皮肉にもラウとヤンだった。
しかし、ヤンが潜入捜査官だと知っている唯一の人物であるウォン警視がサムの一味に殺され、ヤンは自分が戻るべき場所がなくなってしまう。一方、ラウは自らの手でサムを殺し、正義の道に進むことを決める。その矢先にヤンは警察内部の裏切り者がラウであることに気付く。
こうして二人はお互いの立場を知ることになる―――。

実によくできた脚本である。まずはこの一言に尽きる。冒頭にも書いた設定そのものがとても面白く、最終的にお互いが交わりあうまでの過程も面白い。特にヤンとウォン警視の関係が絶妙だ。10年近い年月をマフィアとして過ごし、精神的な病にかかってしまったヤンだが、ウォンと会う時はある種、子供のような感情を剥き出しにしている。いつになったら警官に戻れるのか?という素朴な疑問を率直な感情でぶつける一方で、誕生日プレゼントにもらった腕時計を「腕時計なんかしませんよ」と言いつつも、照れからかウォンのいない場面でつけてみたり・・・。
この二人を中心に描いた作品であれば、"ヒューマン・ドラマ"ではなく、"男の友情"のジャンルに位置付けたであろう作品であるが、物語の中心はヤンとウォンではなく、ヤンとラウである。どちらが"主役"というわけでもなく、二人ともが"主役"なのである。

今までにも二人が主役という設定の映画はたくさんあったが、大半の作品はただ単純に主役級の役者が二人出演しています、というだけで実際はどちらか一方が"主役"を演じていた。
中には「オーシャンズ11」のように主役級をこれだけ揃えました的な作品もあります。私が思うに主役は少ないほうがいい!ということです。というのも、私が映画を見る上で重要だと思うのは登場人物に感情移入できるか?ということです。主役が多ければ、多いほうがそれだけ感情移入できる人が多くていいじゃないか?という人がいるかもしれませんが、感情移入するためにはその事物の背景を描く過程が必要です。人数が多ければそれだけこの過程が薄くなってしまい、結果として誰にも移入できずに終わってしまうのです。だから主役は1人か2人、多くても3人くらいにしておいたほうがいいと思うわけです。
その点からいくとこの映画は警察とマフィア、互いの立場が逆転してしまった二人を主役にして、どちらか一方の視点でなく、二人の視点から描いており、また二人の背景も描かれており、(特にヤンが警察時代の恋人であったと思われるシーンは切なくなった)感情移入しやすく、とても素晴らしい作品だった。

今までにこういった複数の主役が上手く描かれた作品というのは数少なかっただけに、しかも同じアジアの映画ということもあって、一映画ファンとしては見終わった後で非常に嬉しく感じました。
その数少ない作品から1つを挙げるなら、「フェイス・オフ」(これも立場が入れ替わってしまう作品で監督はアジア人)だろう。
踊る大捜査線」も感情移入しやすい人物が多いが、あれはドラマでそれぞれの背景が長い時間かけて描かれていたというのがあり、純粋に映画だけとなると、踊るの世界に入り込んだ自分としては今となっては客観的に判断することはできません。

話がそれてしまったが、"主役"という立場の二人をきちんとそれぞれの視点から描き、感情移入させてくれた久しぶりの作品でした。

一口コメント:
ハリウッドが高値でリメイク権を獲得したのもうなずける作品です。

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