硫黄島からの手紙 |
クリント・イーストウッドといえば、「許されざる者」でアカデミー賞監督賞を受賞し、「ミリオン・ダラー・ベイビー」でも二度目の栄冠に輝いた名監督であるが、その監督が日本を舞台にした2部作を作るということで、制作決定段階からかなり楽しみにしていたが、前作「父親たちの星条旗」は3週間で公開が終わってしまい、見れなかったので、なんとしてでも今作は見たかった。
戦況が悪化の一途をたどる1944年。アメリカ留学の経験を持ち、米軍との戦いの厳しさを誰よりも熟知していた陸軍中将・栗林が硫黄島に降り立った。着任早々、栗林は本土防衛の最期の砦である硫黄島を死守すべく、他の将校達の反対を押し切って地下要塞を掘ることを命じる。また下級兵士の体罰禁止など、従来にない指導方法に、西郷ら若い兵士は喜んだが、伊藤中尉は軍人らしからぬやり方に反発を覚える。そしてアメリカ軍が上陸を開始。
イーストウッド、あなたは本当に素晴らしい!
見終わった後、心の底からそう思った。何でアメリカ人が作った日本映画がここまで日本人の心を揺さぶることができるのだろうか?
この作品は基本的には栗林、西郷、西、清水、伊藤の5人の視点を通して物語が進んでいく。言うなれば、群像劇と言って良い。日本人の視点で、全編日本語を通して、描かれるこの群像劇をアメリカ人が演出しているという、それだけでも素晴らしいのに、それを2部作として完成させたということには驚愕すらさせられる。
映画の中に、怪我をして運び込まれた米兵が持っていた母親からの手紙を、西が部下たちに読んで聞かせるシーンがある。その内容を聞いて"鬼畜米兵"と戦っているんだと信じていた日本兵が、米兵たちも同じ人間なんだということに気づく。さらに、洞窟で目を負傷した西が一人で洞窟に残ることを宣言し、部下を送り出すときに、アメリカ兵の手紙にあった「自分が正しいと思うことをしろ、そうすることが正義なのだ。」とアメリカ兵の母親と同じ言葉を部下に投げかけるシーンは、戦争というものは個人のレベルにおいては、敵味方の区別などない、まったく同じものだ(愛する人がいて、愛する家族がいて、そういった思いに人種や国の違いなどはない!)ということを痛感させてくれる。
しかし、西は部下を送り出したその直後に銃で自決してしまう。彼の中で"国家の正義=ある種の武士道精神"という考えと、上述した個人の正義が対立していたということ=戦争の持つ悲惨さ、残酷さをもこのシーンは教えてくれる。
その上で、傷ついたアメリカ兵を手当てする日本兵を善人として描いたかと思えば、非人道的な体罰シーンで悪人として描き、逆に投降した日本兵を射殺するアメリカ兵も描く。このあたりの演出がイーストウッドならではと言える。
どちらか一方に感情移入させることを許さずに、あくまでも物語を端的に描くことに徹している。アメリカ万歳映画にしたければ、投降兵を射殺するシーンは入れないはずだし、日本万歳にしたければ、当然捉えた米兵に体罰を加えるシーンなど入れるはずがない。しかし、あえてそれをしている点が、オスカー受賞監督イーストウッドのイーストウッドたる所以である。
また戦争の悲惨さ、残酷さという意味では、まるで白黒映画か?と思わせるような色調の中で、爆撃で燃え上がる炎と兵士たちの流血だけが、鮮やかに画面に浮き出してくる映像的な手法も賞賛に値する。これは日本映画ではできない、ハリウッド映画ならではの技術だと言える。
次に役者についてだが、まず、この作品の実質的主役である二宮演じる西郷。以前「青の炎」でその演技を絶賛された二宮が、イーストウッドの元で、どのような演技を見せるか?とても楽しみにしていたが予想以上だった。イーストウッドも二宮の演技に関しては、手放しに誉めていたという話を聞いたが、本当にその通りだった。
特に銃弾が飛び交う戦場で一言「もうだめだ」と一言だけ言い放つシーンは、その短い台詞によくもここまで、感情を込められるものだと感心した。
また陥落寸前の摺鉢山において、同じ隊員たちが「天皇陛下万歳!」と叫びながら自決するのを目の当たりにした直後で、「死んだ兵隊は役に立たない」と同僚に語るあたりも彼の演技力を感じることができる。
そして、宣伝的にはこの作品の主役とされている渡辺謙演じる栗林。"お国のために・・・"が合言葉だった当時の日本人にはありえないほどの、柔軟な考え方の持ち主である。例えば体罰を与える将校を「体罰を受けた兵士を補えるだけの力をお前は持っているのか?」と一蹴するシーンは、この栗林という人物を端的に表現している。
また、時々織り込まれる栗林がアメリカにいた頃の回想シーンが、この作品の肝となっている点は、イーストウッドの演出のうまさと言える。回想シーンの中の1つに、日本に帰ることになった栗林の送別会のシーンがある。その中で友人の妻が「日本とアメリカが戦争することになったら、私の夫と戦うのか?」と問いかけるシーンがあり、それに対する栗林の答えこそが、この作品がもつテーマそのものだと言える。
そしてもう1つ。栗林を日本で待つ家族が描かれていないことも、大きい。たかこちゃん、太郎・・・と、名前を呼びながら手紙を書くシーンは、見るものの想像力に訴えかけ、考える間もなく次のイベントが起こるハリウッド映画のやり方ではなく、次のシーンに移る前に考える時間を与えさせる日本映画のそれに近いというか、日本映画そのものだと言っても良い。
その一方で、戦闘シーンはハリウッド映画ならではの音響と映像技術を持って描かれており、日米の良い点をうまくミックスさせている点にもイーストウッドの素晴らしさを感じずにはいられない。
邦画ですらデタラメな時代考証や目茶苦茶な人物設定が横行する中、アメリカ人監督とアメリカ人スタッフがこの映画を作ったということは、本当に素晴らしい。そのあたりは監督イーストウッドではなく、プロデューサーのスピルバーグを誉めるべきなのかもしれないが・・・。
欠点を挙げるとすれば、映画の前半の脇役的な存在の士官たちの台詞が全体的に棒読みだった点だけだろうか?
名場面と言えるシーンがいくつもある中で、自分の一番のお気に入りのシーンは、栗林が自決する直前の「ここは"まだ"日本か?」との問いに、西郷が「"まだ"日本です」と返すやり取りです。
皆さんはどの場面が好きですか?