ゼロ・グラビティ GRAVITY |
アカデミー賞7部門を受賞した宇宙サバイバル映画。地上波初放送ということで鑑賞。
ハッブル望遠鏡の修理を行っていたライアン達は、ロシアの衛星が破壊され、宇宙ゴミが猛スピードで迫ってきているという通信を受ける。数分後には宇宙ゴミがライアン達を襲い、ライアンは1人で宇宙空間に放り出されてしまう。近くにいたマットに何とか助けられたものの、スペース・シャトルは大破し、残された酸素量も残りわずか・・・。そんな絶望的な環境から地球へと帰還できるのか?
今年の2月に劇場で鑑賞したマット・デイモン主演の「オデッセイ」を思い出した。どちらの作品も宇宙にたった一人残され、どうやって地球に帰還するのか?をテーマにした作品。
時系列的には今作の方が先に公開されていて、舞台も「オデッセイ」の火星よりも地球に近い宇宙空間となっていて、類似していると言えば類似しているが、異なると言えば異なる・・・という見方をする人がいるかもしれない。
個人的にはSFというジャンルこそ一緒だが、全く別物という見方になる。「オデッセイ」がいわゆるハリウッド映画の王道ともいうべきエンターテインメント(観客をワクワクさせて楽しませる)の要素が一杯詰まっているのに対し、この作品はどちらかというとドキュメンタリーに近い。
カメラワークがそれを象徴している。監督の個性が表れていると言っても良いが、今作は非常に長回しが多い。1カット、1カットが非常に長い。さらに宇宙空間ということで1カットながらも固定の角度からずっと見ているのではなく、360度ありとあらゆる角度から登場人物を映し出す。オープニングのカットは15分くらい1カットで回している。
そしてところどころ主人公目線のカットも挿入し、観客が主人公と同じ目線で360度の映像を見ることによって、観客自身も宇宙空間に放り込まれたような感覚に陥る効果ももたらしている。このあたりの映像の見せ方は非常に上手く、アカデミー賞撮影賞受賞も納得の素晴らしい映像美に仕上がっている。
そしてドキュメンタリーに近いもう1つの理由が登場人物の少なさ。通常宇宙を舞台にした映画の場合、宇宙にいる人物とヒューストンや家族などの地上にいる人物を交互に映し出していく作品が多い。「オデッセイ」もこのタイプ。そのタイプであるが故に複数の登場人物の誰か1人に感情移入し、感動したり、興奮したりするのだが、今作は冒頭と中盤の一瞬を除けば、ほぼ主演のサンドラ・ブロックの1人芝居。他に感情移入する人物はおらず、最初から最後までその人物にフォーカスをする。普通ならその人物に家族や恋人がいて、そこに感情移入させるのだが、この作品では子供がすでに死んでいるという、違う意味でリアリティがある設定となっている。そこにエンターテインメントではなく、ドキュメンタリーの要素を強く感じてしまったのかもしれない。
逆に言うと、ドキュメンタリー的要素が強いが故に、感動や興奮といったドラマ要素を求めて映画を見に来る人にとっては非常につまらない作品に見えてしまう可能性も高い。
とはいえ、監督の伝えたかったメッセージの片鱗のようなものはところどころに散りばめられている。例えば宇宙ステーションにたどり着いた直後に宇宙服を脱ぎ捨てて無重力空間で丸まった主人公を映し出したカットは母親の胎内にいる胎児を連想させる。
「今日死にます」という台詞に象徴されるような"生"を諦めるような発言とは対照的に"死にたくない"という思いも何度か描写される。その根底にある"生"への渇望ともいうべき胎児のようなカットは、実はこの作品の肝ではないだろうか?実際、アメリカ版のポスターにはこのシーンが使われているバージョンもある(左端参照)。
宇宙ステーションに不時着する際のパラシュートのロープに絡まったシーンもへその緒のように見えなくはない。
そして"生"への思いが如実に表れるラスト・シーン。母体(=宇宙空間)からこの世に生まれ落ちたことを象徴するかのように、自ら這いつくばるようにして陸に上がり、重力を感じながら立ち上がるシーン。原題のGravity = "重力"が、この作品のタイトルになっている理由がものすごく重厚に伝わる名シーンになっている。
最初から最後までをほぼサンドラ・ブロックの1人芝居としてドキュメンタリー的に描いてきたからこその、このラスト・シーンであり、これをエンターテインメント的に演出していたのでは感動はあったかもしれないが、"重み"はなかったはずだ。そしてこの作品に関しては監督は明らかに感動を狙っていないのだから、二重の意味で"重さ"を感じるこのラストで良かったのだ自信を持って言い切れる。
ただし、ドキュメンタリー的演出をしたのであれば、科学的考証の部分に関してもっとリアルを追及してほしかったというのが残念なところでもある。
この作品を成り立たせるきっかけとなる宇宙ゴミ。衛星を破壊し、主人公を危機に追い込んだ直接のきっかけを作ったのがロシアということになっているが、数年前に現実世界で同じことをしてニュースになったのは中国だったはず。そこはハリウッド、興行収入的な計算も裏でされているのかもしれない。実際、地球へ帰還する最終兵器は中国の宇宙線・神舟が使われている。
またハッブル望遠鏡の修復現場と国際宇宙ステーションISSをあんなに簡単に行き来することはできないし、無重力の空間であんなにも激しく破壊されたスペース・シャトルからかなりのスピードで放出された状態で無線とライトのやり取りのみで仲間が見つけてくれるというのも少々無理がある。これがエンターテインメント的描写の作品であれば、そこはエンタメ重視ってことで!と言えるのだが・・・。
とはいえ、宇宙を舞台にした映画で、最初から最後までを実質主人公の1人芝居で描き切ったのは画期的だし、ドキュメンタリー的に描き、しかもカット割りが少ないために、リアルタイムの映像を見ているような感覚になる。この点においては宇宙映画としては本当に画期的な作品だと言える。