ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 |
映画「ハリポタ」シリーズも今作で三作目。ポスターにも書いてありますが、日本語版のコピーである「僕らは、変わる。」の文字通り、監督が変わり、原作も前二作とは異なった雰囲気の内容であったためか、作風もガラリと変わっている。
三年生になったハリー。前二作と同じように人間界での生活から始まる。しかし、今作ではたくましいハリーとして描かれ、冒頭から今までとは違う雰囲気が漂う。
ホグワーツに向かう列車の中でアズカバンという刑務所からシリウスという囚人が脱走したという情報を入手し、その囚人を追うために放たれたディメンターという吸魂鬼のような生物がハリーの近づいてくるが、何とか難を逃れ、ホグワーツへとたどり着く。
新学期が始まり、ルーピンという新しい先生(電車の中でハリーを助けてくれた人物)と新しく先生になったハグリッドの姿もあった。ルーピンの授業は生徒達にとって、実に面白く、ハリーは個人的にある魔法を教えてもらった。また歩いている人の位置と名前がわかる不思議な地図も入手していた。
ロンとハーマイオニーはお互いのペットであるネズミと猫のことでケンカをしていたが、この二匹の存在が物語りを前二作とは大きく異なるダークな世界へと導いてくれる。
前二作がファンタジーの中でもバラ色とまでは行かないまでも、ピンク色くらいの感じだったとすれば、今作の色は絶対にそっち系の色ではない、黒に近い灰色というのが適切な応えになるだろうか?
というわけで、前二作と同じイメージで見に行くと、ハリー・ポッター・・・だよね?ということになるかもしれない。
たとえば前二作では晴れの日に行われていたクイディッチが雨の日に行われたりといった感じ。また前二作ではCGの見せ場として描かれていたはずのクイディッチのシーンが、今作では短かったり、今作はひょっとするとCGショットの数がかなり減っているのかもしれない。実際すごいCG技術だなと思っていた冒頭のシーン:人間が風船になって、空へと舞い上がっていくシーンも大部分は実写で撮影されたらしい。
その減った分がストーリー展開に深み、あるいはサスペンス的要素を持たせている。ここでいう深みとは謎解き要素とでも言えば良いだろうか?いくつかの伏線があって、その伏線同士が絡み合いながら、最後の最後で謎が解ける。この謎解きの過程におけるタイム・パラドックスの見せ方が非常にうまい。
しかし字幕なしで見たためかもしれないが、登場人物が少ないにもかかわらず、その数少ない登場人物が入り乱れて、誰が善で誰が悪なのかが、非常にわかりにくかった。(日本語で見ればそうではないのかもしれないが・・・)
今までのようにファンタジーを求めて見に行くと少し違った印象を受けることになるだろうし、サスペンスだけを求めていくと、少しわかりにくいかもしれない。というわけで、まったく新しい映画"サスペンス・ファンタジー"だというつもりで見に行くのが良いかもしれない。