ハリー・ポッターと死の秘宝 part2 |
第1作の公開から10年。とうとうこの時がやってきた。シリーズ8作目にして、いよいよ完結編。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は旅に出ていた。ヴォルデモートの唯一の弱点とも言うべき分霊箱探しの旅だった。まず最初にハッフルパフの金のカップを奪うべく、魔法界唯一の銀行グリンゴッツの金庫に侵入する。
そして次なる分霊箱は、ハリーたちの学びの場であり、今はヴォルデモートの支配下となったホグワーツに隠されているレイブンクローの髪飾り。秘密の通路を使い、ホグワーツへの潜入に成功したハリーらは、目的の分霊箱を探す―――。
一方、自分の弱点である分霊箱が次々と壊されていく事態に業を煮やしたヴォルデモートも、大軍を率いてホグワーツへの侵攻を開始する!!
10年も続いたシリーズもこれで終わりか?と思うと感慨深いものがある。監督こそ数回変われど、同じ主要キャストで10年も続いたシリーズが他にあっただろうか?(校長役は死去のため、変更せざるを得なかったが・・・)それだけでもこのシリーズの意義は大きい。
例えば、パート1の時、10歳の子供が20歳になっている。例えば、パート1の時は新婚だった夫婦も小学生くらいの子供がいたりする。自分の場合、日本でIT系の新入社員だったのが、今はアメリカで映画系の仕事をしていたりする。
それだけ個人個人に大きな変化が起こる中で、このシリーズはキャストやスタッフと共に成長してきた。(個人的には監督がデヴィッド・イェーツになって以降は盛り下がる一方だったが・・・)
前置きはこれくらいにして、本作の感想を述べたいと思う。結果として、シリーズ最高の8点をつけるに至ったのだが、これは監督の手腕というよりも原作の力によるところが大きい。
例えば、分霊箱を壊すたびにヴォルデモートの力が弱っていくのだが、もう少し描き方がなかっただろうか?例えばハリーと対峙してお互いに魔法をぶつけ合っているシーンなど、杖からでる光の量を激減させるなど、いくらでも方法があっただろう・・・。それこそが小説にはない、映画ならではの見せ所だと思うのだが・・・。
またハリーの死亡確認についても、恐怖の大王の割りにヴォルデモードの確認方法が甘すぎる。まぁシリーズ6作目、ヴォルデモート復活後にその恐怖感を描くのではなく、ホノボノ恋愛ストーリーを描いた監督だけに、やはり"恐怖"というものの描き方が下手だといわざるを得ない。名前を口にするのも恐れられるほどの"恐怖の大王"のはずが、結局、最後の最後まで絶対的な強さを感じることなく終わってしまったのは間違いなく、この監督の責任だ。いかに分霊箱によって次第に弱っていくという設定があっても、そこはやはり絶対的な強さの前にひれ伏すハリーたちが、何度も跳ね返されて、最後の最後に望みをかけた一撃で倒す・・・的な演出が欲しかった。
そういった意味では、そのあたりの演出が上手い別の監督が撮っていれば満点もあり得たのではないだろうか?
と監督批判はここまでにして、今度は良かった点を述べていきたい。
今まで明るく、夢に満ち溢れた安全な場所の象徴ともいうべき場所だったホグワーツが、今作ではその様相を大きく変える。明るさが変わるだけで、ここまで雰囲気が一変するのか?と驚かされた。
そしてそのホグワーツを舞台に、魔法大戦争が始まるのだが、そのスケール感は圧巻!ホグワーツ上空に張り巡らされた防御魔法にヴォルデモート軍団が一斉攻撃を仕掛けるシーンは真夏の花火大会さながらに、綺麗な絵をスクリーンに映し出す。
そして石像やトロルなどが出てくるあたりは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを髣髴とさせる。
10年に及ぶ物語の始まりがホグワーツであった上で、その壮大な物語の終点もホグワーツにした原作に感動すら覚えた。
感動という意味では、この作品で唯一のお涙頂戴シーンも忘れられない。それはもちろん、スネイプの回想シーン。シリーズ最初からどっちつかずの態度でハリーたちだけでなく、観客をも戸惑わせてきた彼の真意がわかるこのシーン。
彼はただ一人悪役を演じ、二重スパイを続けてきた。それはただ1人の愛すべき女性のために・・・。そして、尊敬するダンブルドアのために・・・。これを死の直前に彼自身の語り口で聞かせるのではなく(そんなことをしたら彼のイメージが崩れてしまう)、ヴォルデモートとの戦いの最中、壮絶なる死の後で、その全てが明らかにされるという手法も感動の要因になっている。
そして原作の中で最も素晴らしいと思ったトリックが分霊箱の最後の1つ。この設定によって、とある人物の苦悩がさらに大きくなるし、ヴォルデモートの心をのぞけるという理由付けにもなっている。
ただし、なぜその人物が死ななかったのか?というのが正直よくわからないまま終わってしまった感は否めない。原作にはそれが詳しく説明されているのだろうが、映画だけを見た自分としては?である。
これもまた監督の技量の問題だろうか?
残された分霊箱の謎が次々に解けていくスリリングな展開と、スネイプの謎が解けることで広がる感動。そして最後の最後に用意された一大スペクタクル=魔法大戦争。こうした大きな要因以外にも、この作品をシリーズ最高傑作にした要素は他にいくつもある。
例えば、ネビルというキャラクターの成長。第1作の時点では、ギャグの落ちとして使用されていたキャラクターがここまで逞しく成長し、最終的にはヴォルデモートと対峙するシーンまで用意されている。主要キャラ以外にも成長している証、それがネビルである。
ロンの母やドラコの母といったキャストにも見せ場が用意されており、最終章にふさわしいキャスト総出演映画でもある。中でもマクゴナガル先生の活躍は意表を付かれた。スネイプとの対決しかり、石像に命を吹き込みシーンしかり、思えば直接的な援助はしないものの、いつもハリーの味方として間接的に優しく見守っていたのが彼女だった。そんな彼女の直接的な魔法の攻撃に興奮せずにはいられなかった。
そして最後の最後に描かれる19年後のエピローグ。
これがまた素晴らしい。ハリーの子供の名前を聞いた瞬間、オォー!と思わず声が出てしまった。
ハリー、ロン、ハーマイオニー、ジニー全員が親となり、子供たちがホグワーツ行きの列車に乗り、新しい魔法の世界が始まる―――、と同時に10年前の1作目に戻ったような感覚にもなり、壮大な魔法世界の物語の締めくくりとして、これ以上ない素晴らしいフィナーレだと思う。
これでもう続編を見ることはないが、もう一度パート1から見てみたいと思える最終章でした。できることなら最後の4作を別の監督で見てみたい、そんな願いを魔法を使って叶えて欲しいものです。