ピクセル / PIXELS |
予告編を見た時から楽しみにしていた作品。劇場に行った時間にやっていたのが、3D字幕版のみということで、久々に3D、そして久々に吹き替え版を見ることになった本作。しかし3Dはさておき、吹き替えは楽しむことができた・・・。
1982年、NASAは宇宙人に向けて当時流行していたゲームを収録した映像などを宇宙へ送った。30数年後、宇宙人たちはその映像を基にゲームのキャラクターを再現し、地球に侵略を仕掛けてくる!
グアムの米軍基地にギャラガが・・・、インドのタージマハルにはアルカノイドが・・・、ロンドンにはセンチピードが・・・、そしてニューヨークにはパックマンが襲い掛かる―――。これらのゲームのキャラクターは触れた物質をすべてピクセルに変える特殊能力を持っている。
そこでNASAが宇宙に送った80年代当時のアーケード・ゲームのチャンピオンたちがアメリカ大統領のもとに集う!
予想通りの展開で予想通りに楽しめた。
自分が思う制作陣の狙いは、100人が100人楽しめる映画ではなく、100人中50人がそれなりに笑える映画・・・といったところ。そういった意味ではパーフェクトな作品だと言える。数年に1本、必ずこういった作品を世に送り出すハリウッドはやはりすごい。
制作費150億円を超えるような超大作でもなく、かといって低予算作品でもなく、60~80億円規模の予算で同額程度の売上を目指す(日本で置き換えれば5億円の予算で5億円の売上を狙う)というのは他の作品でカバーできる、もしくは他国の売上でカバーできるという計算が成り立つハリウッドのスタジオだからこそできる贅沢な"遊び"だ。
「メリーに首ったけ」を日本で見た時にも同じことを思ったが、日本では絶対に作られないし、仮にそういった作品があったとしても狙って作っているわけではなく、結果そうなったパターンだと思う。なぜならそんな中途半端な映画を作るだけの予算があれば、他の大作に予算を回すか、もっと低予算で芸術志向の作品を複数制作するというのが日本の映画製作として根付いているからだ。
ちょっと作品の感想からは話が逸れてしまったので、本題に戻したい。
予告編を見て思っていた80年代のアーケード・ゲームとピクセルという相性の良い組み合わせ、それがこの作品の随所に感じられる。敵が攻めてきて触れたものがすべてピクセル化するという演出。敵自体がピクセル化しているので、違和感もないし、3D映像として見る分にも違和感がないどころかより3D感が際立つ。CG全盛で恐竜やドラゴンといった想像上の生物でさえ描けるこの時代に敢えてカクカクした時代遅れのピクセル化した映像を・・・、しかもそれを3Dで見せるというこのコンセプト。この時代にこの企画を考えた人間は素晴らしい発想の持ち主だと思う。
その一方で、ある登場人物が恋するゲームの中の女性キャラがピクセルからリアルな女性になる描写も差し込んであり、そのあたりのメリハリというか対比がまた上手い!さらにその逆で、現実のものがピクセル化していく描写も非常に斬新で、今までありそうでなかった面白い映像を楽しめる。またテトリスで一列そろうごとに高層ビルの高さが減っていくという描写も面白い。
ストーリーはもちろん突っ込みどころ満載なのだが、それを突っ込んでしまってはルール違反。なぜならこの作品はストーリーの整合性や人間ドラマといった要素を求める作品ではないからだ。でなければかつてのゲーマーがあんなにもお笑いっ気たっぷりに世界を救うなんて設定になるはずがないし、しかもアメリカ大統領の友人だなんて設定はもっと在り得ない。
言い換えればこれはB級映画の中のB級、キング・オブ・B級映画なのだ!というか、監督が「ホーム・アローン」、「ハリー・ポッター」シリーズのクリス・コロンバスで主演が新コメディの帝王アダム・サンドラーという時点でこれはそういう作品なのだ!ということに気付けるかどうか?がこの作品を楽しめるかどうか?の分かれ道なのかもしれない・・・。
B級映画とは深く考えることなく、映像や台詞の駆け引きによる笑いを単純に楽しむための作品なのだ。
ところで今作は映画館で鑑賞した久しぶりの吹き替え作品だったわけだが、結果、吹き替えもキャスティングと内容によってはありだなと思える作品だった。
吹き替えがありだと思えたのはある役者の吹き替えを担当したのが、神谷明氏であったから。彼は日本のアニメ界では「キン肉マン」、「北斗の拳」のケンシロウ、「シティーハンター」の冴羽リョウ、「名探偵コナン」の毛利小五郎など名だたる作品の名だたるキャラクターを演じている。そのキャラの名台詞がこの作品の中でも使われていて「お前はもう死んでいる・・・」とか「モッコリちゃん!」とか、逆に字幕版はどういう字幕になっているのか?滅茶苦茶気になった。
一方で主演のアダム・サンドラーの吹き替えをした柳沢慎吾はイマイチしっくりこなかった・・・。バラエティー番組で見る彼の弾丸トークは面白いのだが、この作品においては何か空回ってる感がすごかった。アダム・サンドラーと言えばアメリカの劇場では抱腹絶倒系のコメディ俳優なのだが、吹き替えになったせいか、あるいは字幕でもそうなのかもしれないが、この作品においては滑ってる感がところどこと垣間見えた。
全体としてはコメディ系の作品で声優自体が持ちネタとも言える台詞を持った声優であれば、吹き替えはありだが、ドラマなどのように明らかに作品の質と声優の質が合っていない場合はやはり字幕が良いと再認識させられた作品となった。
エンド・ロールの文字というのは普通、黒い背景に白い文字が下から上へと流れていくのが一般的だが、この作品はエンド・ロールまで80年代のゲーム化されていて、書体や表示の仕方など、スタッフのゲーム愛が感じられる仕上がりとなっている。
1つ気になったのが、作品の冒頭と最後で非常に目立っていたSONYの文字。今や完全にハリウッドのメジャー・スタジオの仲間入りをしたSONY PICTURESだが、"PICTURES"ではなく、"SONY"をここまで打ち出してきたのは初めてではないだろうか?この作品に登場する多くのキャラやゲームは任天堂やコナミといった他社のものだったが、2015年現在ハリウッドに残る唯一の日系スタジオということで、日本連合を組んでその陣頭指揮を執ったのがSONYということだろうか?などと少し変な見方をしてしまったりもした・・・。しかし実際、各ゲーム会社はよくキャラクターの版権許可を出したと思うし、それを取得したSONYもすごいと思う。一瞬だけではあるが、任天堂の象徴ともいえるスーパーマリオも登場していたし・・・。
ゲーム・ウォッチから遊んでいた自分としては非常に楽しい作品だった。しいて要求があるとすれば、2つ。1つはせっかく版権許可を得たのだから、ゲームのキャラが登場するシーンは、各ゲームのBGMを流して欲しかった。そして2つ目はハリウッド映画ということでアメリカ人向けのゲーム・キャラが多かったが、クッパや竜王といった日本人になじみの深いキャラクターも出演させてほしかった。というか、高橋名人が登場する日本版を、誰か作ってくれないか?と半分くらい本気で思ってみたりもする・・・くらい楽しい作品でした。