宇 宙 戦 争 |
2005年、夏の日本映画界を牽引する二大巨頭の一つであり、スピルバーグ&トム・クルーズというタッグ、そしてジャンルはスピルバーグの才能が遺憾なく発揮されるSFパニック映画・・・ということで、制作決定段階から公開を楽しみにしていた作品。
ニューヨーク上空で発生した暗雲から連続して発生した稲妻はすべて同じ箇所に落ち、その下からトライポッド(三脚)型のマシーンが現れ、レーザー光線で街を破壊し、人を殺戮していく。レイは、近隣の人たちと一緒にそのマシーンから逃げ出す。そして家にたどり着いたレイは、息子のロビーと娘レイチェルを連れ、離婚した妻のいるボストンを目指し、逃避行へと着く。
物語は大きく二つに分けられる。前半はトライポッド・マシーンが現れ、街を破壊していく様子とそれから逃げようとする人たち、そしてそれを撃退しようとする軍隊・・・といった感じで、スピルバーグならではのパニック・ムービーになっている。
そして前半が"群集の中の一人の人間"レイを描いていたとすれば、後半は"一人の娘の父親"レイを描いている。娘をいかに守るか?という観点から、描かれており、今までのスピルバーグにはない(作品の途中で視点を変えるという意味で・・・)色の作品に仕上がっている。
前半の破壊・殺戮シーンは本当にすごい!!
まずは稲妻が連続で落ちるシーン。稲光と轟音、そして役者の恐怖に怯える姿のみで、観客にもその恐怖感が十分に伝わってくる。
次に地中からトライポッドが地中から現れるシーン。最初に地割れが起こり、その地割れが拡大していき、周りの建物が次々に崩壊していく。地割れのシーンはどうやって撮影したのだろう?と思わざるを得ない。
そして建物や人間を破壊していく("殺される"という表現ではなく、"破壊"されるという表現がぴったり!)シーン。レーザー光線によって建物は破壊され、高速道路は転倒し、車やバスが空から降ってくる。そしてレーザー光線を浴びた人間は体内に埋め込まれた爆弾が破裂したかのようにはじけ飛ぶ。
その映像と音響に思わず身震いしてしまった。特に上空から降ってきた車やバスには何度となく、驚かされた。
それに続く、トム・クルーズの演技もその恐怖を引き立たせている。命からがら辿り着いた家。今までのトム・クルーズなら、何とかしてマシーンを倒そうとか、最悪でも子供達を逃がすための行動を即座に取るのではないか?と思われるが、この作品では、そこで茫然自失となった状態を見せる。しかも息子と娘のいる前で・・・。本当に普通の人間がパニックになったら、こうなるだろうと思われる演技、演出になっている。
他のシーンでもトム・クルーズがごく普通の人間レイを演じている。「ホワイト・アウト」で織田裕二が演じた富樫という一般人(ヒーローではなく、あくまでも普通の人という意味で・・・)に似ているかもしれない。富樫と違う点は最初から最後まで、普通の人であるという点だろうか?富樫は最初は普通の人間だったが、最後はライフルを持って、テロリストと戦っていたが、今回のレイは自らが宇宙人と戦うシーンはない。あるといえば、娘と息子を守るために人間相手に拳銃を数発発射したくらいだろう。
いや、普通というよりもむしろダメ親父といったほうが良い。例えば、離婚した状態で子供の親権は母親が握っているという設定。娘の好きな子守唄を知らない点。そして一番のダメ親父の設定は、娘達の家で食事を作ってやると言いながら、娘がピーナツ・バター・アレルギーということを知らずに、パンにピーナツ・バターを塗ってしまい、「いつからアレルギーなんだ?」と訪ねると、「生まれた時からよ」とレイが娘と一緒に暮らしていた頃のことすら、覚えていないという皮肉を、パン一つで描写しているのは今までのスピルバーグ作品には見られなかった要素だと思う。
ダコタ・ファニングの演技も良い。見方によってはただ叫んでいるだけという見方もあるかもしれないが、過呼吸症候群といった症状だけでなく、ちょっとませた感じの演技も上手い。例えば、父親レイが「俺は何でも知ってるんだぞ!」という台詞に噛み付いた兄ロビーに便乗して「じゃ、オーストラリアの首都は?」と父親をからかうシーンはそれを如実に表しているし、逆にとげが手に刺さってしまったシーンでは「絶対に触らないで!」と父親を煙たがる演技も見せており、幅の広い演技力を見ることが出来る。
そしてもう一人、ティム・ロビンスの演技も素晴らしい!主人公レイを助けるという優しい性格から徐々に狂気に満ちた性格へと変貌を遂げる過程は、宇宙人に対する"恐怖"以上に人間の奥底に潜む"恐怖"を見事に表現していました。
そしてティムの台詞は一つ、一つが意味深。例えば、「大阪じゃ(マシーンを)何体も倒したそうだぜ」という台詞。アメリカ映画にとって、日本が世界最大の市場であるからなのか?はたまた日本でワールド・プレミアを行うことが決定していたからなのかはわかりませんが、日本人としては嬉しい台詞。しかも東京ではなく、大阪というのがまた面白い。
そしてこの映画の中で最も印象的な台詞もまた、ティム・ロビンスの台詞。「これは宇宙人と人類の戦争なんかじゃない。人類の駆除だ」という台詞。とても怖い。"戦い"以前の問題だと言っているわけである。
今回は映画専攻学生として、どうしても言っておきたいことが一つある。それは車に乗って、ボストンへと向かう車のシーン。父、息子、娘の3人が車内で口論を繰り広げるのだが、最初車内にあったカメラが、走っている車の右側からのアングルに変わり、次が車の正面からのアングル。そして最後が車の左側からのアングルと変わっていくのだが、この間、一度もカットがない。つまり、撮り始めから、撮り終わりまで一度もスイッチを切ることなく、走っている車の周りを一周しているわけだ。
一体全体、どうやって撮ったのか?ということ以前に、このカメラの動きを考えたスピルバーグの頭の中はどうなっているんだ?と唸らされたシーンです。
と良い点ばかりを書いてきた。実際、素晴らしい映画なのだが、最後の落ちが今ひとつ弱い。宇宙人の侵略映画ということで、当然誰もが期待するように、どうやって宇宙人を倒すのだろう?と思っていたのだが、あまりにもあっけない終わり方に拍子抜けしてしまった。H.G.ウェルズの原作に即した忠実なエンディングらしいのだが、なんともあっけない終わり方なので、エンディングだけは変えて欲しかった。
ただひとつ、よくある「アメリカ万歳」映画ではないことだけは保証しますので、そういった映画が嫌いな人でも、楽しめると思います。
それともう一つ。邦題がおかしい。原題は「War of the Worlds」で、直訳すると"世界戦争"って感じだろうか?それがなぜに"宇宙戦争"になったのだろう?同時期に公開される「STAR WARS」(直訳すると"惑星戦争")に対抗したかったのだろうか?
ストーリー的にも"宇宙戦争"ではなく、あくまで"世界戦争"、もっといえば、"アメリカ戦争"といっても言いくらいである。(設定では世界各地が襲われているのだが、描写としてはアメリカ、しかも東部(ニューヨークとボストン)のみしかなく、タイトル"宇宙戦争"とはかけ離れている。
タイトルから「STAR WARS」のように宇宙空間での戦争を期待していくと、大いに期待はずれになること間違いなしです。