2003年12月6日(土)
「教育格差」



先日会社の同僚と日本の教育と現代の親について、ちょっとまじめな会話を交わしました。1つは日本の教育が二極化するのではないかという話です。

文部省のカリキュラム内容が変更され、土曜日は隔週休みから完全に休校になり、円周率は3.14から3になり、小学校の早い段階での社会・理科はなくなり、ゆとり教育という名の(学術的な意味で)低レベルの教育が進んでいます。
一方社会は依然として学歴社会である(学歴重視の採用はしないという企業もあるが、実際は青田買いを行ったり、リクルーター制度を設けたり、書類審査は学校名で落としたりする企業が大多数)ために、子供に高学歴を望む親たちが大勢います。しかし学校教育のゆとり化が進み、社会に出るために必要な"学問"という意味での勉強の主役は学校から塾へと変わっています。

それに伴い、ある程度自由なカリキュラムの組める私立の学校に入れたいと望む親が増えているようです。特に東京では幼稚園から名門私立があり、幼稚園から入園試験というものが存在します。
我が愛知の高校に関して言えば、昔の私立高校はスポーツ特待生か公立高校に入れなかった場合の滑り止めといった意味合いが強く、進学校としては公立高校が普通でした(中高一貫の私立は除く)。学歴上位校を比較すると一般に私立よりも公立高校のほうがレベルが高く、当然学費も安いため、公立高校優先の親が多いようです。しかし、この傾向も徐々に変わりつつあるようです。最近はスポーツで名を売っていた高校が勉強にも力を入れ始め、徐々に私立高校のレベルが上がってきています。名実ともに日本一の企業であるトヨタ自動車が中高一環の私立の全寮制学校を愛知県に設立するというニュースも流れましたし・・・。

私立に行くにせよ、塾に通うにせよ、お金がかかるわけです。ということは収入の多い家庭の子供が、"高学歴"という名の就職切符を手にするために高いお金を払って勉強に励み、収入の少ない家庭の子供はその競争から取り残されてしまうといった二極化が進むのではないかと思うのです。
理由は3つ。
1つ目は収入の多い家庭の親自身が高学歴である場合が多く、自分の子供にも同じように・・・と望むのではないか?
2つ目は先ほども書きましたが、高学歴を得るためにはお金がかかる時代になっている。(もちろん、何の努力もしないでも勉強のできる天才には関係のないことだが・・・)
3つ目は遺伝。1つ目の理由で親が高学歴と書いたが、高学歴の親の遺伝子とそうでない親の遺伝子を比べた場合、どちらが勉強できるかという問題を考えると、自分の周りの高学歴の子供の親は高学歴であるという確立が高いのです。
以上3つの理由から今後、より一層の教育格差が広がり、二極化が進む可能性があるのではないかということです。この話が現実になれば、それこそアメリカのスラム街(低賃金労働者たちの居住区であり、かつ犯罪多発地区でもある)のような町がこの日本にも登場するかもしれません。

というわけで、ゆとり教育を進めるのはどうなんでしょうか?という私と同僚の考えを書かせていただきました。次回は私と同僚の話の続き、親について書きたいと思います。

See Ya!!

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