2004年5月20日(木)
「飛鳥涼論〜作詞家編〜」
前回に引き続き、"飛鳥涼論"と銘打って、ASKAという人間によって、自分がどれだけの影響を受けたのかを書いていきます。第ニ回の今回は"作詞家"飛鳥涼について書きます。
"作詞"という言葉から皆さんが受ける印象はどのようなイメージでしょうか?国語の授業で習う"詩"と同じだろうというイメージを持っている人がいるかもしれません。が、漢字を見ればわかるとおり、"詩"と"詞"ということで文字が異なっています。
私の個人的な意見としては似たもの同士ではありますが、"詩"と"詞"は別物です。というのも、"詩"はフリー・フォーマットで書くことができ、好きな言葉を用いて制限なく自由に伝えたいことを伝えることができます。一方"詞"というのは、メロディーがあるため、制限があります。例えば、「夜の明ける頃」という言葉がメロディの関係上、「夜明けの頃」となってしまうように・・・。
そういった意味で"作詞"というのは、短歌や俳句に似ているのかもしれません。五・七・五という制限の中で書かなければいけませんから。
さて、そこでASKAの"詞"ですが、"素晴らしい"の一言に尽きます。例えば「YAH YAH YAH」という歌。今までの音楽史の中でサビに歌詞がない(YAH YAH YAHというのが歌詞といえば歌詞なのだが、歌詞と呼ぶよりはむしろ、ラララ〜♪のようなハミングのようなもの)歌というのが、あっただろうか?日本に限ったことでなく、世界的に見ても、前例のないことなのではないだろうか?これこそ、メロディーありきの"詞"だからこそできたものであり、"詩"の世界ではありえないものだと思います。そういった意味でASKAの"詞"というのは"素晴らしい"のです。
また前回、紹介した「WALK」のメロディーに、どうしてああいった歌詞が載せられるんだろう?と思ってしまうという意味でも素晴らしいと思います。それ以外にも素晴らしい歌詞はたくさんあります。ここでごく一部ではありますが、紹介させていただきたいと思います。
まず、物語性のある歌詞なら、「青春の鼓動」「no doubt」「鏡が映したふたりでも」「C-46」「201号」「ある晴れた金曜日の朝」「You are free」「モナリザの背中よりも」「同じ時代を」といった曲がお勧めです。
またワン・フレーズ、ツー・フレーズといった短い歌詞ながら、心に深く残る歌詞というのも数多くありますので、ここで一部を紹介させていただきたいと思います。
"心の支えは いつの時代も 男は女 女は男"
(Single「男と女」より)
"君と僕では どっちが痛いんだろう"
(Solo Single「ONE」 coupling「着地点」より)
"1/2の痛み 感じ合ってたつもりさ"
(Solo Album「SCENE2」収録曲 「けれど空は青〜close friend〜」より)
"君は間違えずに歩いた 僕から離れた"
(Single「You are free」より)
"恋で泣かした人と 恋で泣かされた人 同じ罪を振り分けてもいいね"
(Single「めぐり逢い」より)
"どんな もしもが 君の未来にわりこんでも かまわないさ 僕はずっと味方さ"
(Single「if」より)
"どんな大事なことも どんな馬鹿げたことも
どんな素敵なことも どんな皮肉なことも
今日のいま このためと言える"
(Album「RED HILL」収録曲 「THE TIME」より)
これらの歌詞はメロディと共に心に鮮明に残り、時に人を励ましてくれたりするものです。そういった歌詞を書ける作詞家というのは皆さんにもそれぞれいることと思います。私の場合、そういった作詞家というのは桜井和寿、宇多田ヒカル、坂井和泉、そして飛鳥涼の4人です。
この4人の歌詞というのはものすごく心に残るものが多く、メロディと共に心に刻まれており、大袈裟に言えば人生訓のようなものになっています。
そういうわけで"作詞家"飛鳥涼の影響というのも幾分なりとも現在の私に影響を与えているわけです。特に
どんな大事なことも どんな馬鹿げたことも
どんな素敵なことも どんな皮肉なことも
今日のいま このためと言える
という歌詞は、常に自分の行動規範となっています。
次回はもう一つの"詩"である、"詩人"飛鳥涼について書いてみたいと思います。
See Ya!!
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