2004年5月22日(土)
「飛鳥涼論〜詩人編〜」
"飛鳥涼論"、第三回目の今回は"詩人"飛鳥涼についてです。
前回の"作詞家"と今回の"詩人"の違いはメロディーに載った詞かどうかということです。もっとわかりやすく言えば、メロディーという制限がないため、その人の感性が際限なく発揮される"言葉の集まり"といえます。
"詩人"飛鳥涼が私に与えた影響は、"作曲家"、"作詞家"、あるいは次回紹介する"国際人"飛鳥涼の中で、内面的には最も大きいかもしれません。というのも、上述したように"詩"というのは"言葉の集まり"であり、自分の中で物事を考える際に使う道具というのは"言葉"だからです。
私自身楽曲制作をすることもあり、自分でも"作詞"や"作詩"をするのですが、無意識のうちに飛鳥涼の"詩"を意識していることが多々ありました。例えば「後戻りのできない人生」という楽曲を作ったのですが、作ったときは意識していませんでしたが、よくよく考えてみれば後ほど紹介する「やり直しがきかない人生」という"詩"を昔読んだのが深層心理にあったのだなと今回読み直してみて、思いました。
さて、CHAGE&ASKAのコンサートに行くと、オープニング・ムービーやコンサートの終盤(だいたいラスト2曲か、3曲となったところ)で、ASKAがメッセージを観客に向けて発信します。時にはそれが"詩"であることもあります。
また最近はなくなりましたが、CHAGE&ASKAのアルバムの歌詞カードにも"詩人"飛鳥涼の才能を垣間見ることができます。
今回はその中で印象的だったものをいくつか紹介してみたいと思います。
まずはこちら。コンサート・ツアー"GUYS"の時の詩です。最初はわけもわからずに、ただ言葉の美しさに引き込まれた詩ですが、それもまた詩の魅力の一つだと思います。
次はこちら。コンサート・ツアー"史上最大の作戦"のオープニング・ムービーの中の台詞です。この原型がアルバム「RED HILL」の歌詞カードについている「やり直しがきかない人生」。こちらも紹介しておきます。これらの詩は今では自分の行き方のベースになっています。
もう一つ私の人生のベースになっている詩を紹介しておきます。
こだわりのない生き方は出来ないけれど
こだわりつづけては始まらない気がする
これはアルバム「TREE」の詩ですが、昔はこの詩を座右の銘にしていました。
次はアルバム「PRIDE」の歌詞カードについている「恋」、「ほんの幸福」、「キス」です。
これら三つの作品はそれぞれ短い作品ではありますが、恋愛のイロハとでも言うべき仕上がりになっていると思います。
アルバム「TREE」の歌詞カードについている「かけひき」は物語性のある詩としては最高の出来ではないでしょうか?
アルバム「Code Name.1 Brother Sun」からは二つ紹介します。「行き場所」と「作戦」です。「作戦」については読み終わった後に、これは使える!と思ったものの、使う場面は一度も来ていません・・・。
アルバム「Code Name.2 Sister Moon」からは三つ紹介します。最初の二つは飛鳥涼の子供時代と青春時代を反映したのではないかと思われる詩で、物語性の高い「蝶々」と「青春のかたまり」です。そして三つ目はものすごく現実的というか冷徹な「一遍」です。
ソロアルバムからも一つ紹介しておきます。「ツー」です。短い詩の中にものすごく色々な想像を掻き立てるだけの要素が詰まっています。
次はアジア・ツアーで訪れた香港でのコンサートの際に発したメッセージです。言葉の通じない海外で、この言葉を発した飛鳥涼に感動しました。
海外ということでもう一つあげるとすれば、モナコ音楽祭での発言も忘れられませんが、それは次回"国際人"飛鳥涼の中で紹介します。
そして最後に先日のコンサートのオープニング・ムービー、そしてコンサート中でも繰り返された詩を紹介して、今回の"詩人"飛鳥涼についてのコラムを終わりにしたいと思います。この詩はアメリカに旅立つ自分を後押ししてくれる、ものすごく大きなパワーを持ったもので、ツアーのテーマである"人"の素晴らしさを教えてくれるものでもあります。
人は願うことがある限り果てしない
人は願うものがある限り果てしない
人が宇宙の中にいるのではなく
人が宇宙を持っている
人は凄い 人は凄い 人は凄い
人は凄い 人は凄い 人は凄い
人は すごい
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