ハ ナ ミ ズ キ
採点:★★★★☆☆☆☆☆☆
2010年12月5(DVD)
主演:新垣 結衣、生田 斗真
監督:土井 裕泰

涙そうそう」、「未来予想図 ~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」以来の楽曲からの映画化作品。一青窈の「ハナミズキ」からインスパイアされた10年の時をかける純愛ラブストーリーという宣伝をされていた。

北海道で母と暮らす紗枝は、英語を使える職場で働くことを夢見て、東京の大学を目指している。ある日、彼女は父の跡を継いで漁師になろうとしている康平と出会い、恋に落ちる。東京と北海道で離ればなれになる不安を抱えながらも、紗枝の受験を応援する康平。そして紗枝は大学に合格し、2人は遠距離恋愛になってしまう。康平の不安と寂しさが募る中、紗枝は大学で同じ夢を持つ北見と出会う―――。
数年後、父が急死し、家を継ぐことを決めた康平は紗枝と別れることを決意する。一方紗枝も就職が決まらず、NYへ経つ決意を固める・・・。

楽曲ベースの映画化というのは、まず何はともあれ楽曲ありきである。楽曲を聴いたことのある人が主な客層になるのであるから、あまりにも楽曲とかけ離れた内容の映画になってはいけない。その点で「涙そうそう」、「未来予想図 ~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」の2作はその点において、ある程度、楽曲の世界観を保っていた。
しかしこの作品においては、"ハナミズキ"というタイトルをつけた割には、歌詞の内容が無視され過ぎで、とりあえずハナミズキを1本植えておきましたという感じが拭えない。サビの部分の"♪君と好きな人が100年続きますように~"にあるように、相手の幸せを永遠に祈る気持ちというのをストーリーに反映して欲しかった。
"相手の幸せを願う心"を感じられないのは、主役2人の心の葛藤があまり描かれていないからだと思う。とはいえ、大学に合格するあたりまでは康平の内面の葛藤が描かれていて、後半に期待を持てた。特に紗枝の受験を応援するのと離れたくないという苦悩、そして初めて東京に出てきたクリスマスの日の焼きもちともいうべき描写は素晴らしかった。そう、前半3分の1くらいまでは非常に良かったのだ。(といっても早稲田の推薦、落ちてこの世の終わりのように感じる紗枝はちょっとやり過ぎ。早稲田の推薦受けるレベルなら、一般入試でも高い確率で通るだろうし・・・)
しかし、紗枝が大学卒業を控えてからは2人の苦悩が描かれるシーンが薄っぺらい。例えば、就職活動がうまくいかず、自分の将来に悩む紗枝だが、気が付くとNYで仕事をしている。言うなれば、康平を選ぶか、夢を選ぶか?と、この作品の1つの主題とも言える大きな分岐点である。ここでの紗枝の内面描写はゼロ。しかも康平の父が死んだという描写があったにも関わらずだ・・・。
未来予想図」は夢と恋人のどちらを選ぶのか?という選択が個人的に最も共感を覚えたシーンであり、この作品においてもこの分岐点を描くかどうかで物語の深さが大きく変わるシーンだっただけに、なぜそこを描かなかったのか、非常に残念である。
そして北海道とNYと離れてしまった後の葛藤もほぼゼロ。お互い別の恋人がいるのだから、なくても成立はするのだが、最終的に2人を引っ付けるような終わり方に持っていくのであれば、やはりここでも何らかの葛藤を描くべきだった。NYでの生活はわりと順調で日本の就活であれほど困っていたのが嘘のよう、そしてせっかく内面を描くチャンスともいうべき唯一のハプニングもわりとサラッと流してしまう。そもそもなぜNYに行ったのかという説明もほぼゼロで、ストーリーの流れも、ここで一端飛んでしまう。
そしてカナダで康平とニアミスした紗枝は彼がマグロ漁船の乗組員ではあるが夢を叶えた事を知る。そこまでの流れからして、紗枝ももう一度自分の夢を追いかけよう!と思うのだろうと予想したら、見事に裏切られました。もちろん悪い意味で・・・。大学進学の時、就活の時にあれだけ夢にこだわった紗枝が、今度は夢をあきらめて日本に帰ってしまうのだ。しかも、その決心の理由に関しての描写もないままに・・・。
よく考えてみれば、紗枝に関しては最初から最後まで内面の葛藤描写が皆無と言っても良いかもしれない。

というわけで、大学2年生あたりまでの2人の心理的成長は描かれているが、その後の成長が伝わらない。2人が"自分で運命を切り開く"というよりは、"こっちの道を行ったら、たまたまこういう結果だった"という描かれ方をしていると言えばわかってもらえるだろうか?
同じ出来事でも描き方が違うと伝わり方が大きく異なるという意味ではすごく良い例になっている。もちろん映画としては悪い方向に進むのだが・・・。
例えば紗枝がニューヨークから友人の結婚式参加のために一時帰国をした際に、康平を灯台に呼び出した後のシーン。家に戻った康平に対し、突然「この家はもう自己破産するしかない」と妻が告げる。このシーンにしたって、もう少し前振りしてをしておいて、康平のあるいはその妻の苦悩を描いておけば、もっと見ている側の心をえぐるようなエピソードである。

とまぁ、ここまでは結構シビアに書いてきたが、良かった点もいくつかあげておきたい。
まずは北海道とカナダの田舎町での撮影とあって、映像が美しい(映画に関して、映像が美しい=ストーリーが駄目だという暗示でもある、苦笑)。
遠距離恋愛を描く上で、時代設定を過去にした点は上手い。なぜなら携帯がない時代、あるいは普及していないだからこその、簡単に会えない、簡単に話せない恋愛の切なさを描いているから。これが現代だったら、携帯でメールしたり、スカイプでネットで映像を見ながら会話もできてしまう。それが時代を10年ちょい遡るだけで、公衆電話からの電話だとか、便箋の手紙という切ない描写になるのだから、時代設定というのも重要になるわけだ。そして上述している紗枝が大学に行って初のクリスマスに久々に再会した2人のぎこちなさが、その切なさを見事に描いている。
そしてこれは非常に個人的ではあるが、紗枝がNYで生活をしていて、そこに母親が突然尋ねてくるシーンで、海外で一人で生きていく寂しさというか、日本に帰っておいで的な優しさというか、割り切ってホームシックというか、そういった海外で長いこと生活をしたことのある人にとって、妙に通じる描写に共感を覚えてしまった。

全体を通して振り返ってみると、圧倒的に心理描写が少なすぎて、ただ起きた出来事を淡々と並べただけな感は拭えないが、ストーリーそのものは恋愛映画の王道的な話なので、見る人によっては少なからず共感を覚えるシーンが1つはある。
がやはり心理描写がないため、深くは感情移入できない。アクションやSFならそれでも良いかもしれないが、恋愛映画という登場人物の感情にどれだけ深く移入できるかというのが重要なジャンルで、この作り方は駄目だという良い見本になっている。

一口コメント:
心理描写が非常に少ない恋愛映画は駄目だという典型的な模範例です。

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