アメリカン・スナイパー
American Sniper
採点:★★★★★★★★★☆
2015年3月1日(映画館)
主演:ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー
監督:クリント・イーストウッド

クリント・イーストウッド監督作品として歴代最高のヒットを記録しており、さらに戦争をテーマにした映画作品としても歴代興収1位を保持していたスピルバーグ監督作品「プライベート・ライアン」の2億1600万ドルを超え、戦争映画史上最大のヒット作となり、アカデミー賞でも6部門にノミネートということで見に行った作品。

テキサスに生まれたクリス・カイル。幼い頃に父親と一緒に狩猟へ行きながら育った。ある時、父親に「人間には3種類しかいない、羊・狼・牧羊犬の3種類だ。お前は弱い羊を守る牧羊犬になれ!」と教えられるのだった。
青年になったカイルはTVで見た戦争の映像がきっかけとなり、海軍に志願する。エリート集団シールズに配属され、私生活でもタヤと結婚して幸せな日々を送っていたが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロを経て、カイル自身も戦地へと派遣される。
その戦地でスナイパーとして大きな戦果を挙げたカイルは味方の中で"伝説"と称されるようになる。その一方で、敵からは"悪魔"と呼ばれ、懸賞金をかけられるようになっていた。計4回の派遣の中で、テロ組織を率いるザルカーウィ容疑者を捜索する作戦へと参加したり、オリンピック・金メダリストの敵スナイパー・ムスタファと出会い、死闘を繰り広げる。
派遣と派遣の間、平穏なはずのアメリカでの生活中も、戦場での緊張感からカイルはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむことになり、タヤとの溝も広がっていき、「もしあなたがもう一度戦場へ行くというなら・・・戻ってきた時に私も子供もここにはいないから・・・」と最後通告を受けてしまう。
そして4度目の派遣が決まった―――。

いや~、参った!さすがイーストウッドだ!
なぜアカデミー賞監督賞にノミネートされなかったかは謎だが、「父親たちの星条旗」で同じようにPTSDで苦しむ退役軍人を描き、また「グラン・トリノ」でも戦争を経て心を閉ざした老人を描いていたが、今作も戦争によって壊れていく人間の姿をイーストウッドならではの視点で描いた作品となっている。
クリス・カイルという人物を、一方で戦場における伝説的英雄として描いておきながら、一方でこの作品の主題はそこではなく、アメリカという日常における英雄の崩壊だということを、過剰な演出はせずに、いつも通りあくまでも淡々と描き切っている。
その"淡々"はエンドロールを無音で流すという前代未聞の極地まで達してしまった。本編においてもエンドロールにおいても、そして今までイーストウッドが監督した歴代作品においても、このシンプルな演出によって、観客にそこにないはずの行間を読ませる、あるいは考えさせることで今まで多くの観客を魅了してきたイーストウッド。特に今作ではこの演出が見事にハマる。戦場において極限状態に自分を置くことで英雄となりながら、平穏の世界に戻ったら精神疾患を患ってしまう主人公クリス・カイルの思考を観客一人一人が考えることで、戦争とは?という人類が抱える問題を深く考えさせるきっかけを与えてくれる。
そしてその主人公を見守る妻タヤの苦悩も辛い。戦場からの電話の最中、銃声とともに突然夫の声が聞こえなくなったり、体は隣にいるのに心が戦場に残ったままの夫、その夫の苦しみを分かるが故の妻としての苦しみ、自分も含めた戦争を経験していない日本人にとっては非常に説得力のある演出となっている。

崩壊していく英雄の視点とそんな英雄を愛した妻の視線。一つの物語を戦勝国の視点で描いた「父親たちの星条旗」と、敗戦国の視点で描いた「硫黄島からの手紙」の2本の作品として監督を務めたイーストウッドだからこその、"戦争を美化するでもなく、ただ戦争を批判するだけ"でもなく、そこに強烈なメッセージも織り込みつつ、それでいてあくまでも映画としてエンターテイメントの要素も兼ね備えた最強の映画と言っても良いかもしれない。
それをあくまでも過剰な演出やBGMを入れずに淡々と描いているのだから、いかにイーストウッドという監督が偉大なのか?を改めて痛感させられる作品だった。

上記以外の演出についてもいくつか感想を述べたい。
まずはPTSDにかかったクリスが、作品の冒頭で父親のセリフにあった「羊・狼・牧羊犬」の台詞に登場する"犬"が息子に近づいた瞬間に"犬"を殴りかかるシーンが挿入されている。このあたりの演出は非常に上手い。
そしてアメリカの軍人=世界の警察=番犬という状況に対して、自分の家族や自国民を守るために敵国の兵士や一般市民までも殺害しなければいけないという過酷な世界。それを物語の最初に手りゅう弾を手にした子供を射殺し、さらにはその母親まで殺害せざるを得ないシーンを描くことで、観客を一気に物語に引き込んでいる演出も非常に上手い。主人公の苦悩が見方を変えればそのままアメリカという国の苦悩になり得るからだ。
その一方で女性や少年に襲撃されるアメリカ兵の恐怖も、逆に夜中にアメリカ軍に突入される一般市民の恐怖も描かれているだけでなく、攻める側、攻められる側の両方の視点を淡々と描いており、映画を見ている観客も戦争というものを"疑似体験"することになる。

今作には「プライベート・ライアン」のような大勢の人間が入り乱れるリアリティ溢れる戦闘シーンはなく、この点においては正直、かなり劣る。しかし主人公クリス・カイルの心情をリアルに描いたという点ではこの作品に一日の長がある。
1つはこの作品は戦争映画ではあるが、戦場を描くことが主題ではなく、あくまでもクリス・カイルという人物の物語であり、たまたま舞台が戦場だったという流れがあるから。それを象徴するのが、戦地より戻ってきたクリスがバーで電話越しに妻と話すシーン。「なぜ自宅に戻らないの?」という妻の問いにどうすればいいのかわからずに途方に暮れるシーン。非常に切なく、同監督作品「マディソン郡の橋」の雨中の交差点の別れのシーンを思い出した。
もう1つはこの戦争が第二次世界大戦以前の話ではなく、つい最近、そして現在も続いている戦争が描かれているという点。特にアルカイダの声明映像にオレンジ色の服の人質が映し出された瞬間、日本人である自分たちにとっても他人事ではないというのが2015年の年初に見るにはあまりにもタイムリー過ぎる内容だということもあるのかもしれない。

ただし、いくつか気になったシーンもある。
戦場から国際電話で妻と会話をするシーン。通話中に銃撃が始まり夫の声が聞こえなくなった際の妻のパニックぶりや4度目の派遣で「帰りたい」の台詞など、とても胸に迫るシーンもあったのだが、銃を構えながら下ネタの話をするシーンなどはアメリカ人ならあり得る・・・というか、アル!とは思いつつも他のネタで代用できなかったのだろうか?という考えが頭をよぎった。
そしてもっとも気になったのが、赤ちゃん。出産直後に何度か登場した際に人形じゃないのか?と感じるシーンが複数回あったこと。妊娠中の診察シーンで映ったお腹もなんか作り物感が漂っていた。ハリウッド映画としては悪い意味で予想外の品質だった。

そしてラストシーンで描かれたこの物語の意外な結末。
神様がこの映画の公開の為に演出したかのような真実に驚愕するとともに実際のニュース映像から受ける悲惨な現実に涙がこぼれた。原作の映画化が決まった当時には思いもしなかった現実。このラストシーンによって作品としての完成度がより一層高まったことは言うまでもないが、映画の持つ不思議なパワーを感じた作品となった。

一口コメント:
巨匠イーストウッドの卓越した演出にタイムリー過ぎる話題が盛り込まれた秀逸な作品です。

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