Ladder 49 |
アメリカに来てから一番最初に見た映画の頃からすでに予告編が流れていた作品。「The Village」で期待を裏切られた感のあるフォアキン・フェニックスがジョン・トラボルタを押しのけて、主役を演じている作品であること、予告を見た瞬間に「バック・ドラフト」を思い出さずにはいられない作品だったこともあり、見に行った作品。
冒頭、いきなり高層ビルの火災シーンから始まる。ジャックを含む"ラダー49"部隊がその火災現場に人命救助のために乗り込む。逃げ遅れた人を救助したものの、ジャックは崩れ去るビルの中に取り残されてしまう。
気がついたジャックだったが、意識がはっきりせず、自分がこの部隊に来た頃のことを思い出していた。部隊に来て最初に出会ったのが、上司のマイクだったが、酔っ払ったジョンに失望しかけたジャックを待っていたのは「クリスチャンか?」という同僚の問いかけに始まる、"ラダー49"なりの歓迎だった。
次に思い出したのはスーパーで買い物をしている彼女に出会った時のことだった。そして二人は恋に落ち、結婚をして、彼女が妊娠する。
次に思い出したのは、ある火災現場で同僚の一人が死んだときのことだった。その同僚の死によって、自分をより危険な任務をにつけてくれるようにマイクに申し出る。そしてジャックは初めて人命救助を経験することになるが、それをTV中継で見ていた彼女は、お腹の子供のことを考えて泣いてしまう。
次に思い出したのは、子供も無事に出産し、何年か経過した後の火災現場だった。燃えさかる現場に入る前に、子供を見つけ、その子供の「いとこと遊んでいた」という発言を聞き、再び火災現場へ救助に向かう。無事に救助したものの、息を失っていたいとこだったが、無事に生還し、ジャックは救出を手伝った同僚と共に表彰される。
そしてシーンは再び、冒頭の崩れ去ったビルに戻る―――。
見終わってみて、フォアキンが主役を演じ、トラボルタが助演だったわけがわかった。フォアキンの演じた役(真面目だが、近づきがたい雰囲気ではなく、可愛がられるタイプの真面目)をトラボルタが演じていたとしたら、正直イメージが違いすぎる。トラボルタの演じる役というのは、一癖あるが、ものすごく頭が良くて、笑いのセンスもある役というのが多い。そしてこの作品で演じた役もその典型に漏れない。
その点、フォアキンが演じたことで上司や先輩に可愛がられる部下、もしくは後輩という雰囲気がものすごく伝わってきた。それはロッカーにアヒルを入れられていたシーンだったり、冒頭の"ラダー49"なりの歓迎だったり、わけもなくバケツ一杯の水をかけられるシーンだったり・・・。こうしたシーンを通して、フォアキンの人柄に親近感のようなものを覚える(自分とはかけ離れた性格だが・・・)と同時に、感情移入していった。中でも結婚式のシーンと妊娠がわかった瞬間の酒場のシーンは、アメリカ青春映画でよく見るような光景(例えば、「トップ・ガン」でトム・クルーズが、教官だとは知らずに、女性に対して歌を歌うシーンのような・・・、例えば「グッド・ウィル・ハンティング」でマット・デイモンが仲間に彼女を紹介するシーンのような・・・)で、青春映画を見ているような感覚に陥った(それがまた感情移入に一役かっているのだが・・・)。
さらに言えば、今までに人の上に立つ役割を担ったことのある(学級委員などのクラスの代表ではなく、部下を持つという意味で・・・)人にとっては、ジョン・トラボルタに感情移入するためのキー的な存在にもなりうるといえます。
消防士の映画ということで、当然気になるのが火災シーンなのだが、CG技術が進歩している現在、「バック・ドラフト」と比べて断然リアリティの高い火災シーンになっていた。とは言うものの、この作品が見た目の派手さよりもフォアキン演じる主人公のドラマにフォーカスしている(それ故に「ヒューマン・ドラマ」のジャンルに分類した)ため、火災シーンはそれほど多くはなく、それを期待していると拍子抜けに終わってしまうかも?
ドラマという意味では、常に"死"と隣り合わせだという現実をものすごく的確に描いている映画でもある。一つは同僚の一人が死んでしまった後の、同僚同士の会話。死んでしまったことに対する愛惜の感情と、それを知った上での死んでしまった同僚のミスだという感情がぶつかり合うシーン。普通なら、愛惜の感情をクローズ・アップするのだろうが、そこを"ミス"という観点も描いたことで、消防士のシビアな現実というのが伝わってくる。
また、火災現場に飛び込んだものの、何事もないため帰ろうと安心した瞬間に襲ってきた蒸気爆発によって重症を追った同僚を見舞うシーン。「子供にどのように顔をあわせたらいいのかわからない」という同僚の台詞に胸が詰まった。消防士という職業が、"人命救助"という光の部分とは間逆の位置に"死"という闇の部分があり、消防士の家族にとっては、それがとてもつらい現実になるということも、繊細に描いている。
それにしても最近、トラボルタの出演作品が熱い!!織田裕二の選ぶ脚本と同じで、おそらく彼の選ぶ脚本というのが自分の思考回路に適しているのだろう。アクションであれ、サスペンスであれ、ドラマであれ、ジャンルが何であれ、彼の出演作はちょっと注意して見ていこうと思った。
映画の最後5分間くらいは歌が流れて、台詞がないまま、終わってしまう。しかし、それがかえってよかった。台詞があったら、あったで脚本家や監督の意思を押し付けられるかもしれないが、台詞がなく、映像だけで進んでいくため、観客一人一人がそれまでの映像から判断して、自分なりの感動なり、印象なりを心の中で考えることができるから・・・。(当然、結論が出ていないわけではなく、結論が出た上での考える時間です。結論が出ていないのに考える時間を与えられてもそれは「何この映画は?何が言いたかったの?」という作品になるだけだから・・・)
台詞がないだけで、映像は流れているため、ここで終わりかよ?という終わりではなく、余韻に浸って、「感動をかみ締める時間を与えられた」という表現が適切かもしれません。
物語の核となるべきシーンの台詞がいまいち理解できなかったので、願わくば日本語でもう一度見てみたい作品です。そうすれば、この作品の評価はもっと高くなると思います。