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パニック災害映画を撮らせたら右に出るものなしのローランド・エメリッヒ最新作ということで、劇場で予告編を見た時から楽しみにしていた作品。
2009年、インドの奥地でとある天体事象が迫っていることに気づいたエイドリアンは急遽アメリカへと飛び、大統領へそのことを報告する。
2012年、子供たちとの旅行中に、前妻のいるロサンゼルスが大規模な地殻変動に見舞われ、急遽ロサンゼルスに引き返すことになるジャクソン。ギリギリのところで妻と現夫を車に乗せ、倒壊するロサンゼルスを脱出する・・・。
ロサンゼルスだけでなく、世界各地で地割れや津波、火山の噴火といった災害が勃発する。各国政府関係者は中国の奥地で開発中のスペース・シップに乗り、この未曾有の危機を乗り切ろうとするが・・・。
一言でまとめるなら、"ローランド・エメリッヒの、ローランド・エメリッヒによる、万人のための映画"だろう。地球規模の大災害、群像劇によるストーリー展開、見たこともないCGスペクタクル映像、客が彼に期待するものが、何かをわかった上で作られた映画です。
監督の過去の作品「インデペンデンス・デイ」や「デイ・アフター・トゥモロー」が好きな人なら、この作品もきっと好きになれるでしょう。逆にこれらの作品が嫌いな人はこの作品も嫌いになるでしょう。
というのも上述したように、彼ならではの作風が最初から最後まで詰め込まれているから。それが地球規模の災害という設定であり、複数の登場人物をきちんと1人、1人フォーカスしながら進む群像劇であり、そしてそれらを見たこともない地球崩壊を描くCG技術である。
地球規模の災害という意味では、今作は「デイ・アフター・トゥモロー」と違い、本当に世界各地で起こる都市の崩落が映し出される。
例えばアメリカだけでもロサンゼルス、イエローストーン国立公園、ラスベガス、ワシントンDCといった都市の崩落が描かれ、さらにバチカン市国、ロンドン、チベット、リオデジャネイロ、といった世界各地の崩落映像がスクリーンに映し出される。(音声での解説だが、東京が沈没したことも作中では語られる)
中でもロサンゼルスの崩落シーンはすさまじい。車で地割れを避けながら空港へ向かうシーン、都合よくドアがもぎ取られたことで、疾走する車とそれを追う地割れによる都市崩壊がとてもリアルに伝わってくる。しかも映画における恐怖を伝えるという意味で、それを子供が見ているという設定もさすがに上手い。崩壊するビルや倒壊する高速道路、よく見てみると小さな人間がビルの端っこに必死でしがみついていたり、高架から落ちる車の横で一緒に小さな人間がもがいていたり、TV画面では気づけないような本当にすごく細かい部分まで描写している。
そして車から飛行機に乗り換えた直後、隆起した地面から地下鉄が出てきて、それを間一髪でセスナが交わすシーンなどは、「ありえねぇ~!」とは思いつつも、「それでこそエメリッヒ!」と心の中で叫んだ。あり得ないけど、大画面で見た時の喜びと感動というのは、これぞ映画!というのを久々に思い出させてくれた。
他にもバチカン市国の大聖堂が崩壊する時にミケランジェロの「天地創造」の壁画にひび割れを入れることで地球崩落を示したり、リオデジャネイロのキリスト像が崩壊するシーンも暗にキリスト神話の崩壊を示していたり、そこかしこにちょっとした遊び心があるのもエメリッヒらしい。
そしてホワイトハウスに津波がやってきた時には元大統領の名前が付いた軍艦がホワイトハウスの上にのしかかったり、ノアの方舟にアメリカ大統領専用機エア・フォース・ワンが突っ込んできたり、といった自虐的な映像も、これぞエメリッヒ!といった映像に仕上がっている。
そして笑いに関しても、細かい部分の笑いのとり方が実にうまい。噴火した山から逃げまとうジャクソンと娘の会話で、「怖がっているように見えるか?」娘を怖がらせまいと必死のジャクソンに対して、娘はすんなり「うん。」と返す。
首をはねられそうな鶏の首の動き一つで笑いをとったり、一度裏切られた愛人に対して、中指を立てたり、といった笑いの持っていき方も、実にエメリッヒ映画らしい。
脚本も細かい部分を言い出したら、あり得ない!の連発なのだが、クライマックスに向かう過程で地球の地軸が傾いて、ウイスコンシン州が地球の極になったりという設定が、実は主人公達が最終目的にたどり着くための前振りになっていたりという部分など実は上手い。
そして観客を感動させる部分のツボを抑えているのもさすが。クライマックスに向かう途中で、「人々が互いに助け合わなければ人間性を失う」というエイドリアンの台詞、船を救う為に水中で一人でもがく父のもとに、言いつけを破って駆けつける息子、離れ離れになった息子に電話をかけるが本人とは会話すらできなかった老人、10億ユーロで方舟のチケットを元ボクサーと息子たち、アメリカ大統領とその娘、ミュージシャンと科学者の親子。
群像劇ならではのたくさんの泣けるポイントが用意されている。自己中心的な考え方を持つ者、自己犠牲の精神を持つ者、いろんな種類の人間が入り乱れるこの作風こそ、人々がエメリッヒ映画に期待するものであり、いつもと変わらない展開と言えば聞こえが悪いが、変わらない=普遍的であり、いつの時代であっても人々の心を捉えるという考え方もできる。
前作「10,000 BC/紀元前1万年」では外してしまったが、今作は見事にカムバックしたエメリッヒ監督。
次回作は大いに期待しています。