永遠の0
採点:★★★★★★☆☆☆☆
2013年12月21日(映画館)
監督:山崎 貴
主演:岡田 准一、三浦 春馬、井上 真央

2013年、夏に「風立ちぬ」を見た際に予告編が流れていたこの作品。原作が歴史的ヒット作となり、プレミアでの評判も上々ということで見てきました。

健太郎は、祖母の葬儀当日、祖父が実の祖父ではなく、宮部久蔵という別の人物だということを初めて知った。司法浪人となった健太郎は姉の慶子に誘われ、宮部の戦友を訪ね、祖父の話を聞いていくことになる。しかし話を聞いていくと、"海軍一の臆病者"と呼ばれていたことを知る。調査を辞めるつもりだった健太郎だが、半年前に余命3ヶ月と宣告されたものの、半年後の今なお存命中の井崎という人物に出会い、なぜ祖父が臆病者と呼ばれても生きることにこだわったのか?その理由の一端を垣間見る・・・。

うーん、重い・・・。そんな一言で片付けてはいけないのだろうが、それが率直な感想。
自分の世代は直接戦争を知らない。生まれた時には高度経済成長期の真っ只中で、学校でも近代史は学年末にサラッと流す程度の内容でしかなかった。アメリカの大学で受講したアメリカ史は建国からの時間が短いこともあり、近代史もしっかりと教えられる。歴代の大統領も1人1人認知させられ、毎年のように首相が変わるどこかの国とは大違いだ・・・。

話がそれたが、この作品はそんな正面から戦争を語ることを避けてきた現代人にとっても敷居が低い。というのは現代の若者が自分の祖父の真実を追うという形で物語が始まり、現代と戦時を交互に見せてくれるから。過去にもそういう作品がないでもなかったが、多くは現代に生きる戦争を知る世代が過去を語るパターン。それをこの作品は若者が戦争を知る人間に話を聞いていくというスタイルをとっており、戦時を生きた岡田准一演じる主人公と三浦春馬演じる現代の若者の2つの視点で感情移入ができる。
そしてもう1つこの作品が他の戦争映画と大きく違う点は、戦争の悲惨さを伝えるだけの映画ではなく、ミステリーの要素が入っている点。祖母と娘のために"臆病者"とのそしりを受けてでも生きて帰ると誓った祖父がなぜ最後に特攻を志願したのか?その謎を追っていくという謎解き要素が最初から最後まで物語に1本の太い軸を通している。

そして日本のCG映画の最先端を行く白組+山崎貴監督作品ということで、VFXに関してはさすがの一言。特に宮部のゼロ戦がアメリカ軍の戦闘機に追われ、攻撃されるシーンは白熱!アメリカ軍の機関銃が発射されるたびに落下する薬莢越しに宮部のゼロ戦を描いた描写は秀逸の出来。

またキャストも素晴らしい。
主演の岡田准一は「SP」シリーズで鍛えられた肉体はそのままに、"生きて帰る"という「お国のために・・・」が常識だった当時としてはあり得ない考え方を体現すると共に、学徒たちの特攻を見続けたことで壊れてしまった後半の変わり方も含めて、精神的な部分での演技力・そして説得力は素晴らしかった。ラストの特攻シーンで見せた笑みも強烈な印象を残した。彼の持つ眼力の強さを見せ付けられた作品でもあった。
他に教え子が急降下の練習中に死んでしまった際、上官の批判から体を張って部下の名誉を守ったことで、臆病者と呼んでいた教え子たちが敬礼で出迎えるシーンも良かったし、井崎が機体不良で特攻をしようとした同僚を思って「鱶(サメの別称)に食われて死ぬくらいなら、敵艦にぶつかって死んだほうが良かった!」と言った発言に対し、「生きろ!」と本気で怒ったシーンも印象的だった。

そして戦時中の戦友を演じた若手俳優たちも素晴らしかったが、何と言っても三浦春間が訪ねる現代の戦友たちが素晴らしい。中でも橋爪功演じた井崎と田中泯演じた景浦の2人が絶妙。
半年前に告げられた余命よりも長生きしている伊崎は「自分が今日まで生きたのは、貴方たちに宮部さんの話を伝えるためだった」と語るシーンは胸にグッと来た。
そしてなんと言っても景浦。ヤクザの親分という設定で、戦時中も宮部にライバル心を燃やし、最終的には宮部の妻をも救った(と思われる・・・)、映画やドラマによくある良いヤクザ。最初に自分の祖父を"臆病者"と呼んだ健太郎に対し、「お前に話すことはない、帰れ!」と冷徹な態度を見せ、真実が見えかけて再度訪れた健太郎には自分が知る限りの真実を語り、最後には健太郎を抱きしめる。このシーンがこの作品の中でもっとも胸を掴まれたシーンだった。

そして最も心に残った台詞は「戦争経験者があと10年もすればこの日本からいなくなってしまう・・・」という台詞。確かにその通りで、だからこそこういう映画だったり、小説だったり、あるいは学校教育だったりで、後世の人々に伝えていく必要があるんだろうと思わされる作品でした。

と、ここまでは作品の良かった点を並べてきたが、ここから逆の点を述べていきます。
まずは軽い話題。この作品の公開がなぜ夏ではなく、正月映画になったのか?という点。新年早々、こんな重い作品を見る気には正直なれない気がする(自分が年内に見たが・・・)し、夏の公開であれば終戦記念もある。また劇中の健太郎たちの服装を見る限り、夏の服装をしている。
おそらくは製作スケジュールの遅れだと思われるが、もしかすると宣伝に関する戦略的なものがあるかもしれない。上述したように同じゼロ戦をテーマにした国民的アニメ「風立ちぬ」が夏に公開されていたので、それを避けたという考えがあったのかもしれない・・・。

次に不要に描かれた現代のコンパのシーン。おそらく「テロと特攻は同じか?」という議論をさせたかったのだろうが、あまりにも突拍子もない描き方で、少し冷める。上記議論をさせるのであれば、例えば大学の講義シーンを入れるなど他にいくらでも描き方があるだろうと思うと残念。
また健太郎が最後に歩道橋の上で叫んでいるようなシーンがあるのだが、そこは司法試験に真剣に向き合うような終わり方にしないと、2時間以上かけて描いてきた宮部の意思が孫に反映されていないという本末転倒な終わり方になってしまうのではないだろうか?
そして祖父が孫の2人が気づくまで、宮部の話を伝えていなかった点。しかも娘に対してもそれを伝えていないのはどうなんでしょう?今まで伝えていなかったのに、なぜそれを伝える気になったのか?あるいはなぜそれを今まで伝えずに隠していたのか?その心理描写が一切ない。それがあるとより深みが増していたと思うと残念。

そして最も興ざめしたのが、最後の最後。現代のビル群にゼロ戦を飛ばしたこと。海岸沿いなどで飛ばすなどならまだしも、高層ビルを背景にゼロ戦が飛ぶのはさすがに興ざめした。健太郎と宮部の心のつながりを示したいのはわかるが、例えば健太郎が墓参りに行った際にふと空を見上げると・・・的な展開にして欲しかった。
ゼロ戦と高層ビルのミスマッチさときたら、もう・・・。しかも「ALWAYS」シリーズでリアルな戦後の昭和を描いた山崎監督の作品なのに・・・。

というわけで、いろいろ述べてきましたが、この作品の根底にあるのは"戦争の悲惨さ"ではなく、"愛することの尊さ"ですね。それを現代の若者視点で描くことで、戦争を直接知らない自分たち世代でも感情移入しやすい親切設計の入口になっています。

一口コメント:
ミステリー要素+現代の若者目線で描かれていることもあり、戦争を知らない世代にとっても敷居の低い戦争映画であり、戦争の悲惨さというよりは愛することの尊さを教えてくれる作品です。

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