手 紙 |
この映画の原作者、東野 圭吾の作品である「g@me」が面白かったこと、そして予告編や映画の設定に魅かれて見た作品。
自分の大学進学費用欲しさに盗みに入った屋敷で誤って人を殺し、服役中の兄を持つ直貴。しかし、その"人殺し"兄を持つというレッテルのせいで、大学進学もあきらめ、叶いかけた夢もあきらめ、婚約者との結婚も破談になり、さらにはやっと見つけた職場でも左遷を言い渡されてしまう。
耐え切れずに自暴自棄になる直貴を、救い出したのは由美子だった。彼女と結婚し、子供もでき、ようやく平穏無事な生活を送れると思った矢先、再び忌まわしい現実が直貴を襲った―――。
殺人者の家族を持つ者の人生とは、こんなにも過酷なものなのか?それを真正面から描いた作品であり、かつそれを美化することなく、最後まで徹底的に現実として描いた点は賞賛に値する。
例えば、左遷先の工場での会長との会話。「それが現実なんだ、そしてここからやり直すしかないんだ」ということを静かに語る会長の言葉にこの映画の本質が込められている。
犯罪とは犯罪者自身が刑務所に入ればそれで済むという問題ではなく、その家族や血縁者も非常に辛い思いを味わうことになる。そこまで全てをひっくるめての"罪"なのだ。それをこの作品は教えてくれる。
また婚約者との別れもそう。心から愛した女性。二人は結婚まで真剣に考えるほどの仲だったが、駆け出しのお笑い芸人と上流階級の令嬢との結婚に、父親が反対しないはずもなく、隠していた兄の存在を知られ、現金と共に絶縁を突きつけらる。普通なら、そこで終わっていたであろうが、この作品の素晴らしいところは、その後に彼女がひったくりに遭い、顔に一生残る傷を負ってしまう点。
直貴自身は何の関係もないのだが、理不尽な犯罪の被害者とその家族の怒りを目の前にして、兄のことを重ね合わせずにはいられない。そんな現実を目の前にしてまで「お嬢さんをください」などと言わない辺りの描写が、甘ったるいラブ・ストーリーとは異なり、この作品を秀逸にしている点でもある。
続いて、役者について述べたいと思う。
まずは主役の山田孝之。影のある役をやらせたら、この年代では右に出る役者はいないのではないだろうか?というくらいに、全編を通して、暗い雰囲気を醸し出している。たとえそれが、お笑いのシーンであろうと、婚約者との幸せそうなシーンであっても・・・。
次に沢尻エリカ。「パッチギ!」に引き続き、方言(パッチギは方言ではなく、韓国語だったが・・・)を話す役どころ。最初は、どうして関西弁なのか?ということに疑問を持っていたが、物語が進むに連れて、関西弁である理由がなんとなくわかってきた。最初は女性としての魅力を増すために関西弁なのか?(個人的に女性の関西弁はポイントが高い)と思っていたが、物語の後半で、身内に犯罪者がいるという事実から目をそむけずに、それを受け入れた上で、自分たちは何も悪いことはしていないと主張できる女性としての強さ、母親としての強さを示すのに、これほどピタリとくる方言が他にないのだ。だから、関西弁なのだ。
そしてその関西弁を使って、最初は底抜けに明るい片思いの女性を演じていたが、徐々に女性としての強さを見せてくるあたりの演技はうまい。演技力という意味ではまったくもって、問題ないのだが、いかんせん童顔なため、母親としての見た目の説得力にやや欠けていた。
そして何よりも素晴らしかったのが、兄役の玉山鉄二。登場シーンはそれほど多くないし、存在感もはっきり言って非常に薄い。最後のシーンを見るまでは・・・。しかし、その最後の最後で見せる迫真の演技だけで、その存在感を十二分に発揮している。いや、おそらく最後の演技を引き立てるために、それ以外のシーンは押さえた演技をしていた(もちろん服役囚という設定もあるが・・・)のではないだろうか?
この作品の中には何度か泣き所がある。例えば、左遷先の工場での会長との対話シーン、婚約者の許婚が部屋に押しかけてきた後1人で泣くシーン、婚約者が怪我負った後の病院での父親との対話シーン、直貴が兄に最後の手紙を書くシーン、兄が殺害した被害者宅でのシーン、そして刑務所での最後のシーン。
誰もが認めるであろう刑務所での最後のシーンは演出がとてもうまい。笑いと涙。通常なら相反する立場の2つの要素を対比しながら、感動的な場面に仕上がっているし、上述した玉山の演技が本当に素晴らしい。それを桜並木を歩く家族3人で締めくくっている辺りがまた憎い。
刑務所を扱った作品ということで、「ショーシャンクの空に」と比較すると、「ショーシャンクの空に」を見終わった後の爽快さはないが、それに変わる何かを考えさせられるし、それに勝るとも劣らない傑作であることも間違いない。