IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 |
原作がスティーブン・キングで、北米での興行収入が「シックス・センス」を上回り、ホラー映画歴代No.1の大ヒットを記録したということもあり、楽しみにしていたが、日本での劇場公開時はタイミングが合わず見逃した。しかし、タイ行きの飛行機でプログラムにあったので、機内で鑑賞した。
児童失踪事件が相次いで起きていた静かな田舎町で、ビルの弟が大雨の日に外出し、姿を消してしまう!!自分を責め、悲しみにくれるビルの前に現れた"それ"を目撃して以来、ビルは恐怖にとり憑かれてしまう。
夏休みに入る頃、不良たちからイジメの標的にされている子供たち、"ルーザーズクラブ"、転校生ベン、そして薬局で出会った父親の性的虐待に恐怖を覚えるビバリーらと共に連続行方不明事件の謎を探ることとなる。ビルと同じく"それ"に遭遇した子供たちとビルは手を組み、"それ"に立ち向かう―――!!
機内で鑑賞したからか、かなり緩い内容だった。
劇場での予告編などからホラー映画として売り出していたのだが、ホラーというよりはダーク・ファンタジーのような内容。何なら「スタンド・バイ・ミー」のような青春映画の要素もある・・・というか、そっちの要素の方が多いくらいな印象だ。
主人公はいじめられっ子の子供たちで、死体を探しに行くわけではないが、原作が同じスティーブン・キングで、時代背景や田舎町を舞台にしていることもあり(カバード・ブリッジが出てきた時は「マディソン郡の橋」すら頭をよぎった・・・)、そこかしこにあの名曲が流れてきそうな雰囲気を感じてしまった。
ホラーとして一番の欠点は"怖くない"こと、これに尽きる。
貞子の役割としてピエロの姿をしたペニー・ワイズなるキャラが登場し、貞子=井戸といった感じでペニー・ワイズ=下水という関連付けは見事。下水=町のいたる所にあり、ペニー・ワイズが町のいたる所に突然登場するという恐怖感を煽る設定はさすがスティーブン・キング。
しかし音響の効果であったり、暗闇で見ることによって成り立つ恐怖感というものがほぼゼロの機内という環境が作用しているのかもしれないが、いかんせん怖くないのだ。ところどころで見せる「リング」の貞子を思わせる演出があるのだが、ハリウッドでもリメイクされたこともあり、今更怖くない。
また怖くない一因が青春要素を随所に入れてしまったこと。せっかくホラー的要素を入れても、その後に青春ドラマが入り、緊張感が削がれてしまう。ずっとこの繰り返しなので、ワンパターンと言えばワンパターンで、ドラマのシーンが終わったから、そろそろ恐怖シーンが来るでしょ?と心の準備ができてしまう。
これが上手いホラー映画だと、ジェットコースター・ホラーというジャンルを築いた「スクリーム」シリーズのように、"怖さ"と"笑い"にメリハリをつけて、ジェットコースターの起伏をしっかりさせ、テンポの良さにつなげ、ずっと緊張感を保てるのだが、この作品はそこがダラダラ感につながってしまっている。
そして"子供にしか見えない"という設定も、上手く活かされていない。子供にしか見えないが、大人にも何かしら気づかせるという設定が少しでもあれば、大人の観客にも恐怖を感じさせることができたのだが、そこは明確にルール分けされている。
その典型がビバリーの家の浴槽のシーン。ビバリーや他の子どもたちにはバスルームが血まみれになっているのが見え、全員で掃除をすることになるのだが、ここでピエロの姿は見えないが血のみでも父親に見せるなどのシーンが入っているだけで恐怖感というのは大きく変わったはず。
子供達にはその原因がピエロというのがわかっているのだが、大人にはそのピエロが見えないため、子供以上にその不気味感は強いはず。演出の順番的にも最初に大人が異変に気づき、子供がそれに続き、子供にしか見えないピエロを追っていくという流れになっていれば、謎が少しずつ解明されていく=その解明された答え以上の恐怖を演出するというホラー映画の王道ストーリーになっていたと思うと残念だ。そうなっていれば、たくさんの子供が行方不明になっているという設定もより活かされていたはず。
また"子供にしか見えない"という設定は夢の中で襲われる「エルム街の悪夢」を連想させる。フレディのような逃げられない絶対的な怖さでピエロを描いていれば、もっと怖さを増すことができたのだろうが、そこがこの作品は弱かった。
ピエロ=貞子xフレディ÷5くらいの感じで、日本的な心霊的な恐怖とハリウッド的な映像的な恐怖の両方をミックスしているのは良いのだが、良いとこ取りをしようとして逆に失敗してしまっているように見える。
その1つの要因が子供たちの対応だろう。ピエロと対峙した時の恐怖感=圧倒的絶望感の見せ方が弱いので、ピエロの怖さが際立っていない。
またピエロが台詞を話すのも恐怖感を醸し出すという意味では大きなマイナス。古今東西恐怖の対象というのは無口が多い。それなのにピエロは結構な長台詞を話すし、子供たちの前に頻繁に登場するため、ミステリアスな存在ではなくなってしまっているのだ。白昼堂々と登場したり、心理攻撃よりも物理攻撃が多かったりというのもどうなんでしょう?
そしてこの"怖くない=恐怖がない"というのが、この物語の設定上、致命的な欠点になっている。
というのは、いじめられっこの子供たちの1人1人がそれぞれ個別の"恐怖感"というのを持っており、それがきかっけとなり、この作品をホラーたらしてめているのだが、こちらが恐怖を感じない以上、子供たちの恐怖感というものに感情移入ができず、主人公たちの行動を理論上は理解できるのだが、深い部分で共感していない状態で物語は進んでいく。そしてその状態で1人1人が心の奥にある恐怖を克服する最後の場面に到達するため、このラストシーンが全く活きてこないのだ。
だから恐怖を克服した後にピエロを倒すシーンは子供たちが倒れたピエロを集団暴行(少し前の時代風に言うならばオヤジ狩り)しているようにしか見えず、何ならピエロに感情移入してしまいそうにすらなってしまう・・・。
これが圧倒的にダメな部分。仮に子供たちが倒すにしても、ここまで圧倒的に子供たちが強くては絶対にダメだ。子供たちが力を合わせても絶対に倒せないくらいの力の差があるところに奇跡的な要因が複数重なり合った結果、何とか倒せた!!くらいの演出にしておかないと見終わった後の、後引くような恐怖感というものはないに等しい・・・というか、この作品に関していえばゼロだ。
例えば、オープニングで子供の腕がちぎられるシーンがあり、そこではピエロの残忍性が描かれているのだが、それ以降はそれ以上のインパクトが一切ない。オープニングのキャッチとして描いたというのはわかるのだが、クライマックスにもそれくらいのインパクトあるシーンを持ってきても良かったのではないか?と個人的には深く思う。
ホラー映画だという先入観を持って、機内で鑑賞してしまったためか?かなり想像とは異なる内容にがっかりの作品でした。