バ   ベ   ル
採点:★★★★★★☆☆☆☆
2006年11月17日(映画館)
主演:ブラット・ピット、アドリアナ・バラッザ、菊池凛子
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

21g」の監督が、アメリカ、メキシコ、モロッコ、そして日本を舞台に、ブラット・ピット、ケイト・ブランシェット、役所広司、さらに「モーターサイクル・ダイアリーズ」のガエル・ガルシア・ベルナルといった役者を使い、文字通り、世界をまたにかけた映画を作り上げ、今年のカンヌ映画祭監督賞を受賞したということで、公開前からかなり話題性の高かった作品だが、なぜか全米で7館のみの公開から始まった作品。

モロッコを旅行中の夫婦リチャードとスーザン。バスで山の合間を走っていた最中に突然窓を貫通した銃弾によってスーザンが倒れる。その後、近くの村に立ち寄り、何とか妻を助けようといろいろと手を尽くすが、両国の政治問題などが絡み、なかなか助けが来ない。しかもバスツアーの同乗者たちにも見捨てられてしまう―――。
家畜をジャッカルから守るために手に入れたばかりの銃を父親から任せられた二人の少年は、銃弾がどれだけ遠くまで届くのかを試すため、たまたま通りかかった峠の下を走るバスに向かって発砲。バスには届かなかったように思えたが、バスが停車したことで、銃弾が届いたことに気づき、少年たちは慌てて逃げる。その後、父親から「アメリカ人旅行者が撃たれた」と聞かされ、すべてを暴露する子供たち。父は子供2人だけを連れて逃げようとする。
メキシコとの国境付近のアメリカの町で家政婦として働くアメリアは雇い主から、予定通りに帰れなくなったので、翌日も子供たちの面倒を見てほしいと頼まれる。しかし、翌日は息子の結婚式がメキシコであり、渋っていたが結局、断りきれなかった。友人などに頼んでみるが、結局誰も引き受け手がいないので、仕方なく2人の子供たち、そしてサンティアゴと一緒に結婚式に行くことになる。その帰り道、国境で呼び止められた4人。しかし、サンティアゴは警備員の制止を無視し、暴走し始める―――。
日本の聾学校に通う女子高生のチエコはバレーボールの試合に負けてムシャクシャしていて、気晴らしに同じく耳が聞こえない友達と一緒に遊びに行くことにする。処女のチエコはノーパンで男を挑発したり、全裸で刑事を誘惑したりして、初体験を試みる。そんなチエコの母親は少し前に自殺し、父との2人暮らしだった。その父を尋ねて警察がやってくる―――。

上述した4つのストーリーを、並列で進行していき、最後に4つのストーリーが結びつくといった展開になっている。しかし、それぞれの主人公たちは最後の最後まで1度も交わることなく、映画は終わる。
こういった展開の映画というのは、今までにも何度かあったように思うが、はっきりこれだという風に覚えている作品はない。そういった意味では記憶に残る作品になったと言える。
それとモロッコの大自然が映った直後に、東京の街がスクリーンに映るというのも新鮮だったし、そういう意味でも記憶に残った。

それぞれのストーリーに関して、1つ1つ簡単に感想を述べていこう。
まずは旅行中のアメリカ人夫婦が撃たれたストーリーについてだが、アメリカだけでなく、日本でも写真付きでニュースになってしまう(しかもご丁寧に退院まで報道している)という設定にやや興醒めしながらも、その一方で、銃で撃たれたためにトイレにもいけず、失禁してしまった妻を描いたり、バスの同乗者がその夫婦を置き去りにして出発したり(日本ならあり得ない話だが、アメリカならあり得そう)といったところにリアリティーを感じたりもした。4つの中では、このストーリーがメインといえばメインなのだが、いまいち盛り上がりにかける。
続いて銃を撃った側のストーリーだが、銃がとても危険なものだということを認識しながら、怖いものみたさでそれを使って遊んで見たくなる子供心というものをうまく扱っている。親に言えない秘密を兄弟で共有しているという設定なのだが、その秘密を一気に暴露してしまう辺りが、いかにも子供らしくて、共感できる。そして逃亡中に起こる事件によって、ドラマとしても盛り上がりを迎える。
そしてメキシコのストーリーは結婚式までは楽しい描写が続き、メキシコという国の"なんでもあり"的なめちゃくちゃさが伝わってきます。自分も実際に行った事があるのだが、国境を越えると本当にガラっと色が変わるとでもいうのだろうか?町並みも人の雰囲気も本当に大きく変わる。そこをすごく細部まで描いている。国境での警察とのやり取りのシーンはメキシコ人がアメリカに対して感じているであろう理不尽さが痛いくらいに伝わってくるのだが、サンティアゴが取った行動はいかがなものだろうか?子供が2人も乗っているのに、車で逃走を図るなんて・・・。しかもその後、夜の砂漠のどこかもわからない場所に置き去りにしていくなんて・・・あり得ないだろう?そのせいもあってか、アメリアの悲惨な境遇にとても同情させられるし、監督もそれを狙っているのだろう。
最後に日本だが、聾学校の女子高生と警察に追われるその父親という設定は興味深く、菊池凛子に関してはモザイクなしの全裸をビッグ・スクリーンで披露しているほど気合が入っている(日本ではシーンがカットされるか、モザイクがかかるか、再編集されると思われる・・・)。さらに他の国のシーンもそうだが、すべて日本語に英語字幕で進むため、「SAYURI/Memoirs of a Geisha」のような非日本のストーリーではなく、きちんとした日本として見ることができる。エンドロールを見てると、日本での撮影は日本人スタッフが行っていることもあり、街並みだけでなく、1つ1つのカットも日本映画や日本のドラマのそれと大差なく見ることができる。
そして、全裸にまでなって誘惑した刑事に断られたチエコが最後に渡したメモに何が書いてあったのか?を直接描かないあたりがいかにも日本的で、自分で考えなさいという辺りが、日本人としてはくすぐったいくらいに良かった。

といった感じなのだが、正直、4つのストーリーを結びつける共通点というか、トリック的なものはこれといった意外性はあまりなく、物語の前半から中盤にかけてわかってしまったので、最後に「あぁ、そうきたか!?」といった感動や驚きはない。
それと、もう1つ言うなら、日本のストーリーは特に必要ない。日本のストーリーの中心はチエコなのだが、チエコ自身は直接的な本筋とは関係ないので、上述したように3つのストーリーを結びつける共通点がわかった時の感動が少ないし、"日本の今"を描くという意味でいうなら、"日本の今"を聴覚障害者の視点で描くということ自体がどうかと思う(聴覚障害者でなければならない必要性はまったくない・・・)。とはいえ、映画を面白くするという意味では、必要なことだし、映画に出てくるモロッコ、メキシコ、日本の中で、唯一の都市であり、メリハリをつけるという意味からも必要なものだったとも言える。
映画のタイトルである「バベル」とは、聖書に載っている「バベルの塔」のことで、昔、人間は皆が1つの言語を使っていて、天に届く塔の建設をしていたが、神の領域を侵そうとした人間に神が怒り、色々な言語を作り、混乱させ、建設を阻止したという話。そういった意味でモロッコ(精神的にも物質的にも貧しい)、メキシコ(物質的には貧しいが精神的には富んでいる)、日本(物質的には富んでいるが精神的には貧しい)を描いたのは納得がいく。

他の配旅行者たちは怪我をした主人公の妻を見捨てていったが、モロッコの貧しいガイドはお礼のお金を受け取らなかった描写はこの映画の中で、唯一心が和むシーンだといえるかもしれない。なんていえばいいのかよくわからないが、「捨てる神がいれば、拾う神もいるんだよ」ということを、このシーンがさりげなく表しているように思えた。
このシーンに代表されるように、すべてのことを善悪の観点で見るのではなく、さりげなく流していく映画の作り方は、この監督が得意とするところなのかもしれない。ハリウッド映画というのはどっちが善でどっちが悪というのがはっきりしていることが多いので、そういった勧善懲悪的な映画(ここで泣かしに来てる、笑わせに来てるというのが明白な映画)が好きな人には、この作品はつまらないだろうが、どっちも悪くないけど、どっちも不幸になっていくという暗い、かつ人間の心理描写を繊細に描いた作品が好きな人にとっては、とても面白い作品だと思う。

一口コメント:
アメリカ、メキシコ、モロッコ、日本を舞台に、それぞれの描写を丁寧に描きながら、不幸な人間の心理をさりげなく描いた作品です。

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