地球が静止する日 The Day The Earth Stood Still |
2008年最後の大作として残る2作のうちの1本。試写会に呼ばれたので見てきました。
ある日、地球各地に謎の球体が空から地上へと出現する。まばゆいばかりの光を放つ球体に恐れおののき、当てもなく逃げ出す人々。そんな中、軍の緊急招集によって集められた科学者集団がNYのセントラル・パークに降り立った球体へと向かう。そこで見つけた人型の物体を研究所へと持ち帰るが、なんとその中には地球人の外観をもったクラトゥという名前の宇宙人がいた。
地球を救うためにやってきたと言う彼だが、アメリカ軍は聞く耳を持たず、やがてクラトゥは研究所から脱走し、「地球を救うためには人類が滅ぶべきだ」の信念をもとに行動を起こす―――。
今年最後の話題作と思っていたが、結論から言うと、同じキアヌ主演の「コンスタンティン」再来である。わかる人はこれでわかってくれると思うが、いわゆる"やってしまった"感満載の映画である。もちろん悪い意味で・・・。
見る前の期待値がかなり高かったこともあり、いや~、もう、久々に映画館を出る時に凹んだ映画である。一体、何だったんだ、この映画!?わざわざリメイクする必要があったのだろうか?本当CG以外、まるで見所のない映画である。
まずオープニングは1950年前後のインドの山奥で始まるのだが、雪山で遭難したキアヌ演じる登山家らしき人物が見つけた光る球体に手をかざすところから始まるのだが、このシーンに一体何の意味があるのだ?しいて言えば、後々現代に現れる地球人型宇宙人の外観を彼からもらった+その当時から地球環境の調査をしていたということを暗示したいのかもしれないが、物語途中まではその辺りを謎にしたような演出だった。宇宙人の正体を謎にしたいのであれば、なおさらオープニング・シーンは要らないはずである。
そしてもう1つ。あそこまで「人類を滅ぼさなければ・・・」とこだわっていたクラトゥが、ある出来事をきっかけに考え方を変えてしまうのだが、その出来事にまるで説得力がない。考え方を変えるということは、それが地球人であれ、宇宙人であれ、かなりの大きな出来事のはずだ。それがなぜクラトゥはあぁも簡単に考え方を変えることができたのだろうか?誰か教えてください!
また家族構成も意味不明。ジェニファー・コネリー演じる白人の母親と死亡した父親、そして黒人の子供という家族、途中で父親の連れ子だったというのがわかるのだが、その設定にした意味がない。
しいて言えば、その子役がウィル・スミスという、現在世界で最も稼げる俳優の実子という"親の七光り"からってことなのかもしれないが、それなら母親役をジェニファー・コネリーではなく、同じオスカー女優のハル・ベリーにして、連れ子ではなく、血のつながりを持った親子という設定にしたほうが良かったのではないだろうか?
物語の進行に特に重要な意味をもたらさないような家族設定は、あまりひねりを加えると現実味が薄れるということをこの映画は教えたかったのかもしれないが・・・。
というわけで問題点だらけのこの作品だが、しいてあげればCGによる建物崩壊のシーンが見ごたえがある。だが、そのCG自体もそこまで目新しい何かがあるわけでもなく、過去に何本もの映画で見てきた映像となんら変わりない。20%前後スケール感が増したくらいた。
これが10年前なら、「ジュラシック・パーク」や「トランスフォーマー」を初めて見た時と同じような衝撃を受けたかもしれないが、2008年現在この映像を見せられても、何の目新しさもない。
そりゃ50年以上前に作られたオリジナル作品は当時、すごい反響があったのかもしれないが、今この時代にリメイクする意味が一体どこにあったのだろうか?
ひょっとすると今だからこそ、"地球に優しく"的なことを伝えるためにこの作品を作ったのかもしれないが、そのメッセージを伝えたいのであれば、他にいくらでも作品はあっただろう。
しかしハリウッドは一体どこまでネタ不足なのだろうか?
そんな疑問を抱かずにはいられない半世紀ぶりのリメイク作品でした。