DEATH NOTE デスノート Light up the NEW world |
「DEATH NOTE」シリーズの正当な続編ということで、昨年のTVドラマ終了後に発表された時から楽しみにしていた作品。
そのノートに名前を書かれたものは死ぬというデスノートを巡り、世界的名探偵Lが命を懸けて解決したキラ事件から10年後の、2016年。ロシア、アメリカ、そして日本で同時多発的にデスノートを使用したと思われる殺人事件が勃発する。
日本のデスノート対策本部はLの後継者である竜崎と共に操作を進め、死神が人間界にもたらした6冊のデスノートを巡る新たな戦いが始まった―――。
「シン・ゴジラ」、「君の名は。」と2016年を代表する作品を先月立て続けに見たのだが、この作品も違う意味で今年2016年を代表する作品となった・・・久々の駄作である!「プリンセス トヨトミ」以来4年振り、史上4作目の1点となった本作。
結論から言えばデスノートというブランドを使った、中身がスカスカのまったく別ジャンルの作品。デスノートがハイレベルな心理戦・頭脳戦だったのに対し、今作はただの肉弾戦・銃撃戦という在り得ないジャンル変更。例えるならSF映画の「スター・ウォーズ」の新作が突然、サスペンスに変わったくらいのインパクト(もちろん悪い意味で・・・)。
まずとにかく脚本がダメダメで、そんな脚本にGOサインを出したプロデューサーもダメ。
役者も基本的にはこの脚本を読んで本気で演じたい!と思ったのであればダメだが、日本の芸能界はハリウッドと異なり、事務所のパワーが強すぎて、役者本人の意思で仕事を選べるのはほんの一握りで、ブランドのある作品だから事務所が仕方なく引き受けたというのが大半だろう・・・。
そもそも絶対的な大前提としてこの作品の根幹はデスノートを巡る天才vs天才という想像を超える心理戦であり、山手線でFBIを殺す方法だったり、Lが最後の最後に使用した起死回生の一手だったり・・・、「そうきたか!?」が醍醐味のはず・・・。
今作はそれがまったくない。1%とかそういったことではなく0%だ!それっぽく見せているシーンがいくつかあるが、既に前作や原作で使われたアイデアの焼き直しであり、「そうきたか!?」ではなく「また、それかよ!?」感が漂い、しらける。
本作のキラが判明するシーンしかり、Lの後継者が死なない理由しかり、第3の人間が腕時計にデスノートの切れ端を仕込むシーンしかり・・・。
そして今作の最大の欠点はデスノートである必然性がない点。前2作はデスノートがデスノートであるが故のルールを利用した頭脳戦が繰り広げられ、そこに面白さを感じたのだが、今作はデスノートがデスノートである必然性がなく、デスノートの代わりに水素爆弾であっても同じストーリー展開が繰り広げられるため、この作品がデスノートを名乗ること自体に疑問を感じざるを得ない。
また登場人物もアホばかりで、天才が一人もいないという点も非常に残念・・・いや残念を通り越して笑えてくる(もちろん悪い意味で・・・)
主要キャラクターとして3人登場するのだが、まず主人公の三島はデスノート・オタクという設定で特段、天才的な閃きを見せる描写はないのだが、三島はまだ許せる・・・というか人物描写が少なく特段書くこともない・・・というのが現実。
そしてキラの後継者として登場する紫苑が天才的なハッキング技術を持っていて、唯一頭が切れるのだが、銃を構えた敵を前にしてデスノートで相手を殺そうとするアホな描写があり、作中で竜崎に「ノートで銃に勝てるわけないだろ!」と突っ込まれてしまう。これを狙ってやっているのだとしたら、脚本家は違う意味で天才かもしれない・・・。
また最後の約束の場所へと向かう際の白いレザーの上下の衣装は何?それまでもそういう衣装で登場しているのであれば、そういうキャラなんだ!となるが、最後だけ妙にロック・ミュージシャンのような衣装で登場し、館内では失笑が起きていた・・・。
そして最大の問題が世界的名探偵Lの遺伝子を受け継いだはずの竜崎。前作が盛り上がった最大の理由はこのLというキャラクターの存在であり、その頭脳なのだが、この竜崎は挑発的な行動のみをLから引き継いだようで、超絶甘いお菓子が好きだったり、肝心の天才的な推理力は残念ながら引き継いでいない。明らかにレベルあっぷしたのは"ひょっとこ"の仮面くらいだ・・・。
さらにただの凡人である三島に家を突き止められ、さらに侵入まで許すという失態まで演じてしまっている。Lが天才であるが故の変人だったのに対し、竜崎はただの変人としてしか見れなかった・・・。
そしてこの3人に輪をかけてアホなのが、日本警察。冒頭は顔の下半分をマスクで隠し、目にはサングラスをかけてキラの容疑者を追っていたのだが、最後の方では腕で口元を隠すのみでサングラスすらはめずにキラを追いかけるという自爆を見せてくれる。さらにキラ事件から10年以上経っているという設定にも関わらず本名を使っているアホまでいる。
また原作ファンなら絶対に許せないキャラの設定変更もあった。
まずは死神のリューク。今作では一切リンゴは食べない!まぁこれは許せるとして、紫苑の下僕となり、警察の覆面を取るなんて行動は前作や原作では絶対に取らない。「俺に頼るようじゃお前もおしまいだな。」と言って夜神月を見捨てた死神が、「仕方ねぇな。」なんて言葉を言って人間の命令に従うなんてデスノートの世界観壊し過ぎで、愕然としてしまった。
死神はあくまでも死神であり、人間と対等ではないし、その中でもリュークは中立の立場を貫いていたはずなのに、この描写ですべて壊れてしまった。また竜崎に付いた死神アーマは雌でレムと同様白い見た目で、ノートまで白く新しい個性が出てきたのか?と思いきや死に方までレムと同じ。前作のレムは何故そういう行動を取るに至ったのか?という感情移入するための描写があったから良かったが、今作はそういった描写もなく、突然の竜崎がアーマの死に嗚咽するので、これまた失笑。
リュークも含め、死神が人間のように描かれている点はやはりひどい。
さらに前作の主要キャラである月、L、弥海砂の3人の描き方もひどい。
まずは月。自分の映像をメモリチップに記録しておき、自分に何かあった時のためにそれをリュークに渡しておく・・・なんて行動はまずあり得ない。なぜなら前作で月は100%Lに勝てると思っていたから。ましてやそれをリュークが受けるなんてことはもっとない。
というわけでアメリカで自分の子供を産ませていたなんて発想はさらに在り得ない。脚本家は何を考えているのだろうか?
そしてもっともひどい扱いだったのが、弥。最後の描写はまだ良いとしてもその直前に紫苑のために死神の目を持ち、さらに警察官をデスノートで殺すなんて行動はあり得ない。理由は自らが語ったように月の写真を見て、月の生存がないと分かった後の行動だから(死神の目を持つのは月の生存を確認するためという理由であればなくはないが・・・その後の殺しはまったくもって無意味)。
弥が登場する理由は紫苑の為に警官を殺すだけ・・・。弥である必然性はまったくない。
デスノートが6冊落ちてくる理由も死神大王が・・・というインセンティブ方式なのだが、その6冊のうち4冊は日本というのもあり得ないし、デスノート争奪戦と言っておきながら、奪ったり奪われたりのやり取りはゼロだし、デスノートを巡る戦いのはずが最後は銃撃戦になっているし・・・、スピンオフである「L change the WorLd」もひどかったが、それ以上のひどさである。
世界観は壊すわ、キャラ設定を変更するわ、心理戦・頭脳戦だったのに対し、今作はただの肉弾戦・銃撃戦になるわ・・・でいかに原作のレベルが高いか?ということを証明するためだけの作品となった。
ダメダメな作品ではあるが、唯一良かったというか、唯一の見せ場はオープニング直後、元AKBがノートを片手に通行人を無差別に殺すシーン。このシーンはデスノートの恐ろしさを表現するという意味では素晴らしい演出だった・・・。がしかし、このシーンがこの作品で最初で最後の見せ場となった・・・。